Home >Photo特集   チノ航空ショー・レポート(その4) セバスキーAT-12ガーズマン Seversky AT-12 Guardsman


チノ航空ショー・レポート(その4)
セバスキーAT-12ガーズマン
"Seversky AT-12 Guardsman"

小柳 篤司    コヤナギアツシ       . 

 セバスキーAT-12ガーズマンとは、リパブリック社の前身企業セバスキー社が開発した単座戦闘機セバスキーP-35の複座練習機型です。
 第二次大戦前の1936年、陸軍航空隊の次世代を担う近代的な低翼単葉引き込み脚の戦闘機は、セバスキー社のSEV-1XP、カーチス社のモデル75、ボート社のV-141、3社の競争試作となった。審査の結果、セバスキーとカーチス2社が採用され、セバスキー社のSEV-1XPはP-35として77機、カーチス社のモデル75はP-36ちして210機発注された。選に漏れたボート社は外国に売り込んだが、日本に輸出された発達型V-143は零戦の元になったとも言われている。
 P-35はセバスキー社初の制式採用された戦闘機で、半分露出した主車輪等垢抜けない箇所も有るが、太い胴体や翼平面等は後の傑作機P-47サンダーボルトを彷彿させる。
 太平洋戦争開戦時、アメリカ陸軍航空隊機がフィリピンに配備されていたが、殆どがが地上で破壊された為、日本機との交戦機会は少数で終わった。
 
スウェーデンは単座戦闘機型をJ-9として採用し、1940年半ばに60機を受領した他、軽爆撃機と複座練習機を兼ねた複座型B6を52機発注したが、1940年10月に合衆国政府が禁輸処置を取った為、スウェーデンが受領した複座型は2機だけだった。残りの50機はアメリカが引き取り高等練習機AT-12ガーズマンとして使用したが、短期間でT-6テキサンに取って代わられた。
 日本海軍は1937年に複座型20機を購入し、大陸に派遣して援護戦闘機として使用したが、零戦の配備により練習機に格下げされた。1939年に3機が民間に払い下げられ、朝日新聞社で2機、東京日日新聞社で1機が通信連絡機として使用された。

撮影時期:2012年5月6日(日)
撮影場所:プレーンズ・オブ・ファイム博物館
http://planesoffame.org/

写真1 機体全景


写真2 機体の左斜め前 


写真3 機体の右斜め前


写真4 機体を斜め後ろから


写真5 カウルフラップ


写真6 主脚外側


写真7 主脚収納部。


写真8 主脚内側


写真9 尾翼と尾輪


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