セスナO-1とはアメリカのセスナ社が開発した軍用の軽飛行機で、弾着観測、連絡等、軍の様々な任務に従事しました。
第二次大戦中にアメリカ陸軍は、観測、連絡等、地上部隊の直協任務にパイプ骨組みで羽布貼り構造の軽飛行機、パイパーL-4、スチンソンL-5等を
運用していた。第二次大戦後の1949年8月にアメリカ陸軍と空軍は共同で、旧式化したパイパーL-4、スチンソンL-5の後継機として、最前線の様々な任務に耐える全金属製の新型軽飛行機を要求した。第二次大戦後に民間向けの全金属製高翼単葉軽飛行機を売り出したセスナ社は、民間機として実績が有るセスナ170の主翼とセスナ185の後部胴体と、視界向上の為に胴体断面を新設計の逆三角形にしたモデル305を開発し、原型機は1949年12月14日に初飛行した。軍は他社と比較審査の結果、1950年5月29日にセスナ社のモデル305をL-19Aバードドッグとして採用し418機を発注した。同年の6月25日に勃発した朝鮮戦争に投入する為に12月20日から訓練が開始され、翌年の2月16日から実戦に参加し、陸軍のL-19Aの他、海兵隊にもOE-1として配備された。 |
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運動性、速度、耐久性等が高く評価され、偵察、前線統制、連絡、輸送等、様々な任務に従事した。生産機数が増やされ、軍は3,105機を受領した。1962年9月にアメリカ3軍の軍用機呼称が統一された為、L-19からO-1に改称された。発達型O-1Eは陸軍と空軍がベトナム戦争に投入したが、レシプロ単発機のO-1Eは非力で損害も多かったので、タンデム双発のセスナO-2スカイマスター、ターボプロップ双発のOV-10ブロンコ等、より強力な機種に交替した。陸軍の航空兵力の主力はヘリコプター中心に替わった為、固定翼機は空軍に移管され、陸軍のO-1は1970年代半ばに退役した。
日本にも供与され陸上自衛隊向けのL-19Eが、富士重工で22機ライセンス生産された。
撮影時期:2012年5月4日(土)
撮影場所:プレーンズ・オブ・フェイム博物館 http://planesoffame.org/
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