実は 30年くらい前に取り掛かり、胴体に主翼をとりつけてパテ整形を終え、それから 何度も取り出し、また ため息をついて しまいこみを 繰り返していた。つまり早く言うと「投げ出していた」わけです。
途中で投げ出していたフロッグのP51A

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投げ出していた理由は、「どんなふうに作るかを迷っていた」の一言につきます。1970年代以降 「精密で正確で凹スジボリでなければプラモデルではない」という 風潮が主流であり、完成させても 誰にも見せるわけにもいかずと、 それが フロッグのムスタングの完成をちゅうちょさせていたのです。
(そりゃ、このキットを大修正するのは大変で 完成がおぼつかないし、そもそもA型が欲しいのならば、ハセガワのB型から改造する方が はるかに楽)
毎号のMA誌を読むたびに、テクニック満載で 技術一辺倒の そんな窮屈な風潮に プラモ作りが苦痛でモンモンといたのが、4年前にwebmodelersを自分で創刊した一つのきっかけでした。商業誌が窮屈な風潮を作るのならば、「自分で雑誌を作れば違うようにもできるのではないか」とちらっと思ったのです。
その意味では 静岡HSの合同作品展に何度か参加した影響が大きい。合同作品展では キットを素材として精密工作を追及するグループの苦労談も聞き、また逆に、思い思いの個性でプラモ製作を楽しむクラブもありと、プラモデルの楽しみ方の姿は 技術一辺倒だけではなく実に多様でした。
現在ならば 「多様な作り方があるんだから、フロッグはフロッグらしく作ってみようよ」 とも気楽に言ってみることもできる。
今この歳になったから言えることかもしれませんが、製品の流行とか 作り方のトレンドとか、 製作技術とか マニュアルとか作法とか そんなことに惑わされていた自分自身がおかしく思える。マー 邪念というか、若気の至りというものだったのかもしれませんね。
そんないわくつきの途中キットがあったので、今年日本に帰国後、3月からプラモ作りを本格的に再開するに当たり、リハビリを兼ねて、思い切って それを 塗装して完成に持ち込んでみることにしました。 |