WW2開戦時のドイツの電撃戦の先鋒としてその名を轟かせたJu-87は1933年年9月にアメリカで行われた複用機での急降下爆撃のデモンストレーションを見てその魅力に取りつかれた当時ベルサイユ条約化の下で密かに再建を図っていたドイツ空軍技術局最高責任者エルンスト・ウーデッドのゲーリング空軍大臣への進言によって生まれた。
このJu-87の誕生に向けては2つの流れがあった。
一つは先ず急降下爆撃機としてすぐに間に合う機体として空冷エンジン搭載の全金属製の複用機でフイゼラー社とヘンシェル社が当局から競争試作の指示を受けた。
この競作は近代的なフオルムを持つたヘンシェル社のHs123が採用され1936年に部隊配備が進められスペイン内戦やWW2開戦時のポーランド侵攻まで地上部隊への協力作戦で大いに活躍したが所詮複葉機で最高速度が320キロの堅実が売り物の機体では第一戦の敵戦闘機に対抗できるわけでもなくJu-87の配備が進むと第一戦から退けられた。
二つ目は取りあえずの急降下爆撃機としてHs123の開発試作と並行して本格的な急降下爆撃機としてはハインケル・アラド・ユンカース社に試作機の契約が当局と交わされた。
「取りあえず直ぐに使用できる機体」の計画に沿って堅実な仕上がりの機体となったHs-123に比べてその後継機にはダイブブレーキを装備し複座で当時の各国の戦闘機と同等の性能等高度な要求が盛り込まれた。 |
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ハインケル・アラド・ユンカース各社は様々な仕様の機体を開発しトライアルに挑んだが先ず脱落したのが複葉機で堅実性をアピールしたアラド社が脱落し、続いて引き込み脚で空理気的に優れていたハインケル社のHa112は急降下試験中に操縦不能を起しパイロットは脱出したが機体は失われた。結局垂直効果と安全な引き起こしを見せつけたユンカース社のJu-87V2(試作2号機)に採用の軍配が上がった。
こうしてJu-87は1936年にJu-87A-0として部隊配備が進められA-1・A-2合わせて260機生産された後更に改良型のB型が実戦部隊に配備されると訓練部隊の機体として使用された。
諸元
全長10.7m
全幅13.8m
全高 3.8m
全備重量3.4t
エンジン ユモ210・600Hp
最大速度 320km
航続距離 1000km(非武装時)
爆弾 250~500kg
火器 MG17×1
MG15×1
搭乗員 2名 |