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誌上個展

<日本航空史> B‐29、襲来

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム



 私の住む地区は、米軍横田基地の離着陸ルートにある。小学校低学年のころか、B‐50がいつも飛んでいた。子供の目で見てもB‐50は雑誌でみるB‐29によく似ていたのだが、私の祖母は「B‐29はもっと大きい」と言っていた。B‐50を大雑把に言えばB‐29のエンジンを換えて垂直尾翼を高くしたものだから、「B‐29はもっと大きい」はずはないのだけれども、祖母はそう言っていた。それほどに大きく見えたのだろう。また、東京空襲を経験した方の話しを聞いたときには、「操縦している人の顔が見えた」という。これはほかでも聞くセリフなので、経験したこともない私が否定しようとは思わない。 B‐29といえば、小学生のころに近所の友だちの家へ遊びに行ったら、メッキで輝くB‐29の大きなプラモデルがあった。今、考えると、それは大滝製作所(オオタキ)の製品だろうと思う。30円とか50円のプラモデルを買っていたころなので、羨ましいというよりも対象外だった記憶がある。大きい、大きい、大きい、プラモデルだった。驚異的なものが大きく見えたのは、祖母も私も同じであった。




 私は、B‐29のプラモデルは、おそらく、サニーの1/100(旧マルサン)を作ったくらいだと思う。そもそも小さな72単発機マニアということや、ニッポンを爆撃したという飛行機であることも気持ちがすすまない理由ではあるが、大きな機体の銀色を筆で塗る自信がないことが大きな理由である。 だから、タミヤ1/100のB‐52も、ハセガワ72のB‐47も、作りたいけれども作ったことがない。銀色塗装に自信がないことは今でも同じなのだけれども、今は「筆塗りが吹きつけと同じになるはずはない」と言えるようになった。技術向上よりも、根性がすわったということだ。



 掲載したB‐29の写真は古書店で10枚くらいをまとめて入手したもののから選んだ。まさにニッポンを襲うB‐29の姿であろう。小さな紙焼き写真でありベストショットでもないが、それが生ナマしい。 この写真のあとに撮影者が帰還できたことだけはハッキリしているのだが、地上では人が死んだのだろうか。



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