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誌上個展

<日本航空史> 謎の日本機

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

  この写真を手に入れてから10年くらいたったと思う。その時にまとめて10枚ほど入手したのだが、この1枚は何だか分らなかった。日本機が相当に好きな人でも、この写真を見て、“ああ、あの○○ね”と分る方はごく僅かだと思う。分らないからといって、そこで調べる気にならないところが私で、“まあ、いいや”だ。




 調べたのは、今から2~3年ほど前だろう。答えは、中島LB-2試長距離爆撃機を改造した満州航空「暁」号だった。たとえば、『日本航空総集 第五巻 中島篇』(改定新版、p.185、1983年)に掲載がある。製造は1機のみ。時代は96式陸攻のころだという。設計主務者は、松村健一技師。松村氏は当時導入した大型機DC-2を参考にして、この機をまとめたという。後に日本がDC-4Eを輸入したときに、それを参考に深山をまとめたのも松村氏だ。  こう書くと模倣者のようだが、そうではない。
松村氏は天山をまとめた技術者だ。日本の工業力そのものが、脆弱だった。実機で技術を学んでいったのだろう。どこの国のものかではない、技術としてみるべきところ、良いところを真摯に受け止めたのだろう。そして、ついに連山を造り上げた。連山もB-17を参考にしたというが、内側から膨れ上がるような造形は、明らかに松村氏の形である。ハセガワの連山を作ってみればわかる。


 LB-2は軍に採用されることなく、昭和12年ころの満州航空に引き渡され、16年まで奉天(現在の瀋陽)にあったという。模型的に見れば、これまでにLB-2や暁号のプラモデルが発売されたことはなかったし、今後も発売されるとは思えない。この記事が出ても、ほとんど誰もが気にしない飛行機であり続けると思う。  次回は、松村氏をかき立てた2機目、DC-4Eをとり上げたい。


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