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誌上個展

<日本航空史>92式重爆撃機と浪形外板 

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

 先月の<日本航空史>は二式大艇をとりあげた。「二式」は皇紀2602年に制式、92式は皇紀2592年に制式だから、その差僅か10年の違いでこれだ。




 戦前、ユンカース系金属機の影響をうけた機体は、浪形外板を使ったものが多い。92式重爆撃機もそうなのだが、掲載の写真ではそれが分からない。結構、ピッチが細かいのだ。この波のピッチはトタン板と同じだという。これは航空機のことを学んだ兄から聞いた半世紀近くも前の話だ。私の記憶によれば、兄にそれを教えた先生は92式重爆撃機の導入に携わった大木喬之助氏だったと思う。
私が子供の頃、金属製の波形トタン板は物置の屋根や家の応急的な外壁に使われていたが、今は姿を見なくなり、プラスチックのものさえもあまり見かけなくなった。今もホームセンターで売っているとは思うが、その波板がこの話を聞いた半世紀前と同じピッチかどうかまでは、責任外のことである。




 92式重爆撃機の製造数はわずか6機だとか。数も少ないし、実戦に出すには鈍重だったこともあったのだろうが、温存するうちに旧式化したという。そんなに大事な飛行機だから、戦前の本では写真があっても説明ナシが普通。詳しく知るならば、秋本実『巨人機物語』(光人NF文庫、2002年)が利用しやすい。この本によれば、「一機が所沢飛行学校の航空記念館に保存され」ていたとある。所沢は、私の家から遠くない。
そもそも、私が所属する模型クラブのSLBは、毎年5月に元所沢飛行場にある所沢航空発祥記念館で展示会を開いている。と言っても、「所沢飛行学校の航空記念館」はここでなく所沢駅の近くにあったと聞くが、どちらにしても92式重爆撃機の発掘されていない写真が所沢に残っているのではないかと、静かに期待している。




  話題を浪形外板に戻す。参考に、92式重爆撃機と同様に浪形外板をまとった93式1型双軽爆撃機を撮った写真絵葉書をあげておく。胴体左側だけでなく主翼後縁まで写っており、まるで全体が空飛ぶ物置小屋のようだ。蛇足だが、この93式1型双軽爆撃機は座席増設型である。
 プラモデルとしてみれば92式重爆撃機の原型はドイツのユンカースG38だ。私はレベルのユンカースG38のキットを持っているが、改造の検討以前に、今は作る予定がない。


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