第二次世界大戦中のフィンランドは、諸外国からの輸入機や捕獲機を巧みに運用して善戦しましたが、一方で国産産戦闘機開発にも努力をしていました。
その機体はピョレミルスキーで、エンジンはDB605AC(1,475hp)とし、1942年に設計をスタートさせましたが、設計元のVL(国立航空機工場)は対ソ戦の破損機や捕獲機の補修に追われ、設計に手が回りませんでした。
1943年にドイツからDB605エンジン搭載のBf109G-2を16機購入、さらに翌年はヒトラーをペテンにかけて(?)、馬力アップしたBf109G-6を114機購入したので、実のところピョレミルスキー開発は無意味になりました。
けれど開発は継続され、1944年9月ソビエトと休戦、1945年5月ドイツ降伏と
いう変転を横目に、試作機PM-1は1945年11月21日に初飛行に成功しました。 |
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そして27時間又は30時間とも言われる試験飛行を果たしたのち退役、中央フィンランド空軍博物館に、現在はひっそりと展示されています。
ピョレミルスキーは木金混合構造で主翼は全木製。最大速度650km/hで、 操縦性も良好とされたので、最後にフィンランドの戦闘機開発能力を示すことが出来ました。同じエンジンを装備し、1942年には飛行していたBf109G-2やマッキMC.205、フィアットG.55に、武装面等で劣るのはやむを得ないかと。
なぜなら戦前のフィンランドは貧しく、航空産業は弱体だったのに、ソビエトと戦いながら、3年遅れで列強と同等の戦闘機を完成させたのですから。 |