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誌上個展

<日本航空史>新田丸・あるぜんちな丸・秩父丸

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

 今回掲載の画像は、いずれも商船として現役にあった当時の絵葉書。美しく優美な姿はカラー写真でなく人工着色といわれるもので、白黒写真版に色版を重ねることでカラー化する非天然色写真だ。そう言われれば海や空の青が単調ではあるが、ちゃんとカラー写真に見える。おかげで建造から70年以上経過した今でも、当時の商船の華麗さを見ることが出来る。  なぜ今回は商船か。それは航空母艦へと変身する前の姿だからだ。


「新田丸」
 まずは、「新田丸」から。この船は昭和15年3月の竣工だという。大日本帝国は大陸での権益確保のためにとっくに戦争をしていた、そんな時期の商船である。だから僅か1年数カ月あとには軍へ徴用されてしまい、改造されて平甲板型空母「冲鷹」となった。 トラック島へ飛行機、人員、物資を運び、そして13回目の帰途にお決まりのように潜水艦からの雷撃で沈んだという。プラモデルでは、新田丸、冲鷹ともにアオシマ1/700にあったと思う。




「あるぜんちな丸」
 船体側面に日の丸を掲げた「あるぜんちな丸」は南米航路に就航して移民者を乗せていた。接収後に機関を載せ替えて空母「海鷹」に姿を変えた。そして輸送任務と船団護衛に出撃したという。 別府で擱座して動けなくなったまま、戦後に解体されたそうだ。多くの人をのせたまま沈んだのではないのだから、救われる。「あるぜんちな丸」と「海鷹」はフジミ1/700で発売していたと思う。




「秩父丸」
 「秩父丸」も掲載しておく。これも美しい。秩父丸も有事の際には航空母艦へ改造することを想定していた。後に鎌倉丸と改名、空母への改造を受けないまま昭和19年4月に雷撃を受け沈没。「秩父丸(鎌倉丸)」はレジンキットであったような気がする。
 私は、船は好きだが、ほぼ何も知らない。それでも商船改造では攻撃型空母に使うには中途半端で速度も不足だろうし、船体も甲板も軍艦としては防御不足に思える。所詮は輸送用にしか使えないのだろうが、それでも必要だから改造したのだろう。商船時代のスラリとした華麗さと鼠色の腰高空母がもとは同じ舟だとは、とても思えない。




 追記:<日本航空史>に商船が登場するのは今回だけだろうが、上述のように船のことは良くわからない。間違っていたらゴメンナサイ。


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