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特集 定番キットを作ろう

(Photo)定番 駄作戦闘機 in WWⅡ

by  コルディッツ
博物館実機写真

 3月にシンガポールの「バトル・ボックス」ー対日戦の英連邦軍司令部跡を
拝観しました。ツアーでのみ入館可で撮影不可は残念でしたが、英語ガイドは、英軍内部の人間関係も説明してくれて、悪くないと思いました。
 けれどバッファローの写真を指し、「重くて鈍くて、エンジンは過熱し、熱帯向きではない」と話し、まるでプリンス・オブ・ウェールズ撃沈とシンガポール陥落の戦犯のように語るのでショックでした。

確かに太平洋戦域では駄作機なのかもしれませんが、フィンランドでは主力戦闘機。(ほぼ)同じ機体でも 周囲の状況によって、名機にも駄作機にもなる不条理を強く感じました。
 俗に「できの悪い子供ほど可愛い」と言いますが、ヒコーキにも当て嵌まるようです。今号の特集テーマを、自分なりに解釈させてただいて、みんな期待されて生を受けたヒコーキの中で、第二次世界大戦に参戦して期待を裏切り、駄作機にされた戦闘機を、詭弁を弄しつつ弁護したくなったものです。


 (太平洋戦域)
ブリュースターB-339Cバッファロー B-3107 (レプリカ)
 軍事博物館(スーステルべルグ)   2015年7月撮影
 イントロのようにシンガポール陥落の戦犯にされました。けれど1941年6月、対ソ連戦に参戦したフィンランドの主力戦闘機として大活躍。その僅か半年後にほぼ同じ機体なのに、マレーシアの英連邦軍、インドネシアのオランダ軍、ミッドウェイの米海兵隊に運用された時は、日本軍戦闘機の「鴨」でした。
 相手が強すぎたとは思いますが、喧嘩する時に相手を見ない方が悪いー聞く耳を持たない軍上層部の問題ではないかと。中国にいたシェンノートから「日本空軍恐るべし」の情報は入っていたわけで、軍上層部のノーウェアマン状態こそ戦犯では。しかし未だシンガポール陥落のスケープゴート…



セバスキーP-35  41-17449/17
 空軍博物館(デイトン、オハイオ州)にて   2004年12月撮影
 P35もフィリピン陥落の戦犯になっています。開戦劈頭に台南航空隊の零戦
に蹴散らされ、その後汚名挽回の機会はありませんでした。しかし初飛行は
1935年と既に旧式化していたので、日本軍を軽視してP35を配備した米軍に
問題ありかと、又スウェーデンの発注した輸出型EP-106を差し押さえ、P35A
として派遣したので、実戦ではマニュアル類がスウェーデン語のままなので、
現場が混乱したという逸話(都市伝説?)もあります。
 なお真珠湾攻撃の報が入った後に、台南航空隊の奇襲を許した失態は、
在フィリピンの米軍指揮官の問題と思いますが、そのヘマを隠すにも、P35を
駄作機とした方が好都合なのかもしれません。
 ちなみにスウェーデンはEP-106を60機購入し、1949年まで運用しています。



ベルP-39E(F?) エアラコブラ A53-13/GR-T
 クラシック・ジェット戦闘機博物館(パラフィールド、アデレード郊外)
2015年3月撮影
 エンジンを機体中央に置き、延長軸で牽引式のプロペラを回した技術至上
主義の機体ですが、エンジンの高空性能が悪く、英国空軍がいち早く見捨て、 日本軍も「鰹節」と揶揄したことで、駄作機にランクされることが多いようです。
 レンドリースでソ連に送られたP39の活躍は知られていましたが、かつては 空中戦ではなく、地上攻撃機として役立ったと説明されていたかと。実際には 東部戦線の空中戦は低空域がメインだったので、ソ連では戦闘機としての
高い評価を受けています。しかし駄作機の汚名は根強いようで…
 余談ですが、バッファローもエアラコブラも、アメリカが作り、ソ連が傑作機に祭り上げ、英国と日本がディスる構図が共通なのが笑えます。これは偉大なる 日英同盟の残照でしょうか。



フェアリー・フルマーⅡ  N1854
 艦隊航空博物館(ヨービルトン)にて   2016年4月撮影
 英領セイロン(現スリランカ)防衛に配備され、南雲機動部隊の空爆を迎撃 するも、零戦に一蹴された上、スピットファイアやハリケーンと誤認されたままで、名前すら覚えて貰えなかった気の毒な複座艦上戦闘機です。
 英海軍は、艦上戦闘機であっても航法士を同乗させることに拘り、フェアリーバトル軽爆撃機を軽量化した複座戦闘機フルマーを開発させました。対して日本(とアメリカ)は単座戦闘機を発展させて、その優劣を審判されたのがセイロン島沖海戦ということになります。
 フルマーは試作機なしで1940年に初飛行していますが、この時点の相手は海軍航空兵力のないドイツだけなので、複座艦上戦闘機も悪くないアイデアかと。しかし航法・通信機器の改良や操縦士の航法能力向上の方向ではなく、万一のために専門家を、重量増による性能低下を容認して、乗せる方向で考えるのが、なるほど英国風なんだと感銘を受けています。



(欧州戦域)
PZL P.11c  8.63/2K
 ポーランド空軍博物館(クラコウ)にて  2011年5月撮影
 昔の戦記物、例えばサンケイ出版「第二次世界大戦ブックス Me109」ー
英国のバランタイン・ブックスの翻訳(抄訳?)版ーを読んで育ったので、
Me109がポーランド空軍を地上で瞬殺したかのように思っていました。瞬殺
の結果、Ju52までワルシャワ空爆が可能だったとも書かれ、主力戦闘機の
P11cの駄作機説を決定づけたようです。確かに1930年初飛行のPZL.P7を
アップデイトしてきたP11cが、開戦時に旧式化していたのは否めませんが、
損失114機で撃墜130機や損失110機で撃墜100機とする説があるように、
座して滅びた訳ではありません。
 実際にP11はガル翼で視界が良く、運動性に優れ、操縦士は敢闘精神に
溢れていましたし、既にポーランド情報部はエニグマ暗号を破っていたので、
P11は適時に秘匿飛行場に避難し、開戦劈頭の攻撃を外して、以降の迎撃戦
で敢闘しています。ドイツが宣伝でP11をディスったのは理解できますが、戦後の英国の戦記物までドイツの宣伝に乗ったのは残念でした。



メッサーシュミットMe110F-2  5052/LN+LR
 ドイツ技術博物館(ベルリン)にて   2008年2月撮影
 バトル・オブ・ブリテンで、Me109の護衛を要する戦闘機として駄作機に認定されました。その後英空軍の夜間爆撃の迎撃で活躍するも、He219の量産を「政治的に」妨害したとして、駄作機の印象を強めた双発戦闘機です。
 しかしバトル・オブ・ブリテンでの惨敗は、Me110の得意技の「一撃離脱」を封じられ、爆撃機の直接援護を強いられた事が原因と思われます。これはMe110固有の問題と言うより、運用側の責任が大きいのでは。
 He219の問題も、同機がハインケル博士の主張するだけの高性能機だったのかは疑問がありますし、大量の夜間戦闘機が必要になっていた時期に、搭乗員には気の毒ですが、Me110で十分な任務から、如何に最新鋭機とは言え、大量生産を阻害しかねないHe219を外したのは、ミルヒの英断のように思えます。Me110は、本人のあずかり知らぬ所で駄作機にされた、実際には 実用的な働き者と見た方が良いのではないでしょうか。



フィアットCR.42 ファルコ MM5643/162-6
 イタリア軍事史航空博物館(Vigna di Valle)  2017年12月撮影
 1938年に登場した複葉戦闘機なので、その時代錯誤ぶりから駄作機の仲間入りです。スペイン内戦で誤った教訓を学んだイタリア空軍が、フィアット社に開発を指示して完成しました。CR.42の量産について故佐貫亦男教授は著作「続々ヒコーキの心」(講談社)の中で「イタリア人の軽率がよく現われた計画」と空軍省を一刀両断しているように、駄作機なれどヒコーキに責任はないですよね。単に不幸の星の下に生まれただけなんですから。
 レベル・ファイターシリーズで散々お世話になりましたが、現存機を見てみると、下翼下面付根の滑油冷却器の再現がスルーされていたようです。





ボールトンポール ディファイアントⅠ N1672/EW-D
 王室空軍博物館(ヘンドン、ロンドン郊外)にて  2016年4月撮影
 駄作機リストから外れることはないと達観している、単発複座戦闘機です。
 武装は操縦士席後方の7.7mm四連装の動力旋回銃塔のみで、固定武装はなし。これは爆撃機の下腹に潜り込み、大量の銃弾を叩き込むのを戦法に特化したそうで。しかし独りよがりの戦法を適う状況は希で、他の用途に廻すには変化球過ぎました。そのため夜間戦闘機を短期間従事後、標的曳航機として余生をおくったのも駄作機の印象を強くしました。
 そんなディファイアントはハリケーンと誤認されやすく、その特徴を生かして、ハリケーンと編隊を組み、誤認して後方から接近するBf109を、自慢の銃塔で返り討ちにした戦闘例もあったようです。
 現存するディファイアントは、2016年8月までロンドン郊外のヘンドンにある空軍博物館に展示されていましたが、今はコスフォードの空軍博物館に異動したようです。異動の内示を受けて?、ヘンドンでストリップを始めた頃に拝見させて頂ました。





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