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誌上個展

<日本航空史> 人命は羽よりも軽かった

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

8月の今回は終戦の月にあわせ、2回分を一本にまとめて投稿した。


 表題の言葉は、山田 誠『最期の特攻機「剣」』(大陸書房、昭和49年)p.31にある小見出しだ。この本には、剣は出撃したとある。先日に近所の古書店でこの本を見つけて、200円で買ってきた。表紙カバーは、今も日本国内のどこかにあるだろうバラバラになった残存機のカラー写真なのだが、著作権がからむのでここでの掲載は諦める。既に1冊持っているのだか、久しぶりに見たので収集癖がでた。200円だったし。  剣を審査し不合格にした陸軍少佐、高島亮一「旧陸軍少佐の証言 回想-キ115剣」『航空ファン』(1993年1月号~10月号連載)は、重要な資料である。
 剣の主任設計者である青木邦弘氏も『中島戦闘機設計者の回想』(光人社、1999年)を著している。近年、光人社NF文庫で再刊されたように思う。これには、剣は特攻機でなく、帰ってくることを踏まえて設計したとある。



 この3つを読んでみると、何が真実なのか分らなくなるが、私は剣に関った個人にとって、全て真実なのだろうと思っている。道理や常識は通らない時代だったのだから。
 剣について、それらの意見の相違を結ぶ証言もある。『世界の航空機』1952年7月号の「読者サロン」に、こんな投稿が掲載されている。「垂直尾翼に「八紘」「八幡」などゝ、書かれたものを特に忘れない。脚を落し、次に大きな爆弾(練習用らし)を落して飛行場に胴着するのを見る毎に…」「終戦直後、飛行場整理の時、私は最後の見おさめと思い座席に座った。樫の操縦桿。計器の少ない中に「脚落下」「爆弾投下」と書かれていたのが目に残る」とある。この飛行場は、投稿者の住所が東京都であり、「此の基地にキ115が見世物となって露天に置かれてある」というから、そこは現在の米軍横田基地であろう。

 「読者サロン」によれば、「八紘」「八幡」などと書かれていたというのだから審査とは思えないから、どうやら剣を使った訓練はしていたようだ。それは実用していたという事である。その訓練は、1回ごとに模擬爆弾を抱いて飛び上がり、胴体着陸。危険で無駄な使い方だとは思うが、ここまでならば出撃していないといえる。
 『最期の特攻機「剣」』の表紙カバーにある残存機は、1994年時点で千葉県関宿滑空場格納庫にあったようだが(ロバート・C・ミケシュ『サムライたちのゼロ戦』講談社、1995年)、今はどうなのだろうか。
 剣は、狂気の飛行機である。いや、末期に造られた飛行機の多くが特攻を想定していたし、旧式機や複葉の練習機までも特攻出撃をしていたのだ。どれもこれもが、狂気の飛行機だ。
 写真は、「剣」。

「グラーダー爆弾の案を持ってきたものがある。説明するからこい。」

 表題は、桜花の主務設計者、三木忠直氏が『航空ファン』1964年12月号に寄せた「桜花設計記」にある一文。桜花は生きている人間を誘導装置に使った飛行爆弾である。氏は「桜花設計記」を同誌の1964年11月号から1965年4月号に連載している。そこには、「説明を聞き、構想図を見る。縷々吐露する殉国の赤誠。われわれ技術者の足らざるところを尊い命をもって補っていこうというのだ」とある。氏は戦後も苦しみ続けたことが知られている。  桜花には数種類の型式があり、一式陸攻に吊られて出撃する型式が11型、銀河用が22型、設計だけに終わった33型、陸上からのカタパルト発射ができる43型、練習機には単座と複座がある。43型の使い方は、こうだ。「敵が・・・本土周辺に大艦隊を集結、最後の上陸作戦に移らんとするときに、各地の壕にかくしてあった桜花43型乙型機がいっせいにカタパルトより発進、一瞬にして敵の大機動部隊を殲滅し、日本帝国に最後の勝利をもたらす(『航空ファン』1964年11月号p.71)」。



 戦後にアメリカで行なわれたに桜花22型の米軍側公式報告の翻訳が『航空ファン』1966年10月号にあるので、そこからいくつか紹介したい。「操縦室は5/16インチ(0.8cm)の防弾鋼板で保護されている」。
「一般に信じられているのに反して、・・・パイロットが機内に“封入”されてはいない。風防は射出可能である」「中央風防は・・・4個のラッチをレバーで抜けば射出して、パイロットは脱出することができる」。ただし「目撃者の報告を総合すると、いずれの場合もパイロットは機内に留まり、死んでいる」。
 ここまでくると、塗装の話は虚しすぎるが、「普通は薄灰色で塗られ」ていたそうである。
 写真は、こっちを向いているのが11型。横向きはグライダーの練習機型で、尾部は丸く整形されている。機首を見ると、上下で塗り分けられている。底部にはソリの取り付け金具らしいものが見える。3枚目のコンクリートが並んだ風景は、南房総市にある桜花のカタパルト跡。本気だったのだ。







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