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(Photo) ベネルクス 1940

by  コルディッツ
博物館実機写真

 1939年にWWⅡが始まっても、ベネルクス3国は中立維持可能と考えていました。そこに1940年1月10日、メヘレン事件が起きます。
この日、霧の中をケルンに飛ぶドイツ空軍のBf108が航法を誤り、さらにエンジントラブルでベルギーのマースメヘレンに不時着。
たまたま同乗していた空軍の参謀将校は対オランダ戦の攻撃計画書の写しを携帯していて、ベルギーに不時着と知ると、慌てて計画書を燃やしますが、未遂でベルギー軍に回収されます。ベルギー軍の情報部は計画書焼却済みのように装うことに成功し、対独戦に備えますが、通報されたオランダは信じず、フランスはドイツ軍の攻勢間近と読み、精鋭部隊をベルギーとの国境まで進めます。
仏軍の対応を知ったヒトラーは、以前から不安を感じていた陸軍総司令部立案の計画を廃し、フォン・マンシュタイン将軍立案の計画を代替にします。それ装甲師団でアルデンヌ丘陵地帯を突破し、フランス国土を駆け抜け、英仏海峡まで到達し、連合軍を二分する革新的な計画で、ご存じのように大成功を収めました。この新計画を英仏軍に探知されないよう、ドイツ軍は最初にベネルクス3ヶ国に奇襲攻撃をかけ、英仏軍をベルギーに誘致したのでした。
※ 本稿は「第二次世界大戦 上 アントニー・ビーヴァー著 平賀秀明訳 白水社」と「第2次大戦 仏・伊・ソ軍用機の全貌 酣燈社」を参照しました。


Messerschmitt Bf108 B-1 Taifun  D-EBEI
 戦争博物館ダックスフォードにて    上2009年7月、下2010年7月撮影   




1940年5月10日、ドイツ軍は西部戦線で攻勢に出ます。連合軍に「シュリーヘン計画」の焼き直しと思わせるため、まずオランダ、ベルギーに同時侵攻し激しく攻撃します。小国のルクセンブルクは非武装中立のため、その日のうちに占領できましたが、政府と元首シュルロット大公とその家族は亡命に成功しました。
 オランダへの攻撃は空挺部隊で始まりましたが、首都ハーグ占領は失敗し、政府と王室は亡命に成功します。しかしその他の作戦は概ね成功し、5月14日のロッテルダム爆撃の効果もあり、5月17日に降伏となりました。一方ドイツ空軍の損害も大きく、空挺部隊を運ぶJu52の喪失は、220機とも275機とも言われています。


 Koolhoven FK51  429  (Replica)
 軍事博物館(スーステルベルク)にて    2015年7月撮影
 コルフォーヘンFK51は、1935年に初飛行した複葉の練習機で、142機生産され、スペイン空軍とオランダ空軍、同海軍航空隊、オランダ領東インド陸軍で使用されました。本国では偵察機としても運用されています。   







Fokker D21  221  (Replica)
 軍事博物館(スーステルベルク)にて    2015年7月撮影
 開戦時のオランダの主力戦闘機。オランダ領東インド陸軍の仕様
により開発され、1936年に初飛行。しかし発注は取り消され、翌年
本国用に36機が発注されました。2機の損失でBf109を4機撃墜した
記録があるそうです。1939年ー1940年の冬戦争でフィンランド空軍
戦闘機として大活躍をしました。そのため世界で唯一のレストア機
はフィンランドにあります。   





 ベルギー領土内のムーズ川とアルベール運河の合流点の橋を管制する「エバン・エマール要塞」攻略のために、ドイツ軍はDFS230グライダーを用います。5月10日早朝、選抜された奇襲攻撃隊員が要塞に着陸し、翌日の昼過ぎにドイツ軍地上部隊が到着するまで、要塞守備隊隊の封じ込めに成功しました。
この派手な活動に対して、英仏軍は益々ベルギーに兵を進め、ドイツ軍の罠に嵌まります。
ベルギーも敢闘しましたが、5月28日に降伏します。

 DFS(ドイツ滑空機研究所)230 A-1  KA十1-52
 ドイツ空軍博物館(ガトウ、ベルリン郊外)
 1937年に初飛行した輸送用フライダー。完全武装兵士8名を運べ
ます。空挺作戦は1年後のクレタ等攻略戦で大損害を受け、以後中止
になります。東部戦線では孤立したドイツ陸軍への補給用に使われ、
ムッソリーニ救出作戦にも使用されました。  







 Fairey Battle T MK.Ⅰ  R3950
 軍事博物館(ブリュセル)にて
 練習機型ですが、1990年にカナダから軍事博物館に運ばれ、1940
年のベルギー空軍所属機(70)の塗装になっています。
 バトルは1936年に初飛行の軽爆撃機です。ベルギーではアビオン・
フェアリー社が18機製造。製造機はロールスロイス・マーリン3 を
搭載し、ラジエーターの位置が英国産より前方とのことです。
「なかでも勇敢だったのは、時代遅れのフェアリー・バトル軽爆撃
機を操ったパイロットたちであろう。かれらはルクセンブルク大公
国を抜けて進撃してくるドイツ軍の車列にむけ、それらの年代物の
マシーンで襲いかかったのだ。足は遅く、満足な武装もないバトル
は、敵の戦闘機に対しても、あるいは対空砲に対しても、恐ろしく
無防備だった。32機中13機が撃墜され、残りの19機もすべて損傷を
こうむった。」(「第二次世界大戦 上 アントニー・ビーヴァー 著
平賀秀明 訳 白水社 171頁)  





 Fiat CR.42(J11)  2543/9
 スウェーデン空軍博物館(リンショーピン)にて 2014年6月撮影
 開戦時のベルギー空軍の主力戦闘機はCR.42で、30機ライセンス
生産をしていました。その他グロスター・グラジェーター22機、
ホーカーハリケーン20機を輸入していました。  




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Vol.141  2020 May.    www.webmodelers.com /Office webmodelers all right reserved /
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