リパブリックF-84Fは、直線翼のF-84Eの性能向上型として開発された後退翼機で、YF-96Aの名称で1950年6月3日に初飛行しました。開発は費用削減と期間短縮を狙い、F-84Eのコンポーネントを流用、エンジンもアリソンJ-35系列のままというお手軽な改良のためか、性能的にはイマイチでした。しかしすぐに朝鮮戦争が勃発(1950年6月25日)したので、開発は促進され、エンジンをライトJ65(英国製アームストロング・シドレー・サファイア)に替えてパワーアップした機体は、1951年2月14日に初飛行に成功します。 |
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結果的に朝鮮戦争には間に合わず、かつF-84G生産の機械設備に55%の共通性があると推測されながら、実際の共通性は15%に過ぎませんでしたが、F-84Fと名付けられて2,711機が生産されました。同社生産のP-47を彷彿させる戦闘爆撃機の役割をこなせ、 戦術核兵器搭載も可能にしたので、生産機のうち1,301機がNATOに供与されました。1952年にNATO加盟したトルコもその一国で、1959年から1960年にかけて65機ののF-84Fが配備され、1973年まで運用されました。
※ 本稿は博物館の掲示とWikipediaを参照しました。
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