カーチスホーク75N型はカーチスP36ホーク戦闘機をスペックダウンした廉価輸出版の一型式で、王室タイ(当時シャム)空軍が12機(25機説あり)を1937年に購入しました。廉価版なので主脚を固定脚にし、エンジンも1,050hpのP&W
R-1830-13ツインワスプから840hpのライト-サイクロン SGR-3 182G-3 に落としています。
タイ王国は1940年6月にフランスがドイツに降伏したのを機に、1893年に割譲した領土の返還を要求しますが、ヴィシー政権はこれを拒否します。そこで1940年11月23日、タイ空軍はマーチンB10爆撃機でフランス領インドシナを空爆、かくてフランス-タイ戦争が始まります。タイ空軍はカーチスホークH-75N戦闘機12機、マーチンB10中爆撃機6機、九七式重爆撃機9機、九七式軽爆撃機「NAGOYA」24機、そしてチャンスボードO3U-2偵察機70機を配備。
一方のフランスはモランソルニエMS.406を9機、ファルマンF.221重爆撃機4機、ポテーズ542爆撃機6機、ポテーズ25TOE偵察・戦闘爆撃機30機、ロワール130偵察・爆撃機水上機8機の配備でした。
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開戦初期はタイ軍が有利な展開でしたが、フランス軍は1941年1月16日には反撃に転じ、翌日のコーチャン島沖海戦ではタイ海軍の海防戦艦「トンブリ」を撃沈する等、フランス軍の攻勢が強くなります。そこにアジア最強の軍事力を誇る大日本帝国は両国間の調停に入ります。1941年1月28日に停戦が成立、同年5月9日にはフランスがタイの領土要求を受け入れざるを得なくなり、終戦となりました。損害はタイの方が大きかったのですが、領土を奪回したので勝者になり、バンコク市内に戦勝記念碑を建立します。
カーチスホーク75Nはタイ空軍の唯一の戦闘機で、11号戦闘機(BKh.11)と呼ばれ、1941年12月8日の日本軍のタイ侵攻時にも出動しました。その後タイは日本と同盟を締結して、米英に宣戦布告します。1945年の日本の敗北時に共倒れはしませんでしたが、新フランスから領土返還要求を突きつけられ、これに屈します。
しかしそのフランスもインドシナ戦争に敗北し、係争地はラオスとカンボジアの一部になりました。 ※本稿は博物館の掲示とWikipediaを参照しました。 |