Home >(Photo) MGAZ M20 Pobeda , M21 Volga<特集 CARモデル<2020年12月号

  特集 CARモデル

(Photo) GAZ M20 Pobeda , M21 Volga

by  コルディッツ
博物館実機写真

 GAZ」は今なきソビエト社会主義共和国連邦に存在したゴーリキー自動車工場の頭文字で、1929年に創設されました。
 第二次世界大戦前はフォード社のモデルAとAAトラックの生産設備を譲渡され、モデルAはGAZ-Aとして、トラックはGAZ-AAとして生産しています。大戦中はソ連版ジープ「GAZ-67」の生産に追われましたが、大戦後半にソ連の勝利が見えるようになると、戦後を見越したGAZは中型乗用車の国産開発を始めます。
 その結果1946年にM20 Pobet(ポベーダ、ロシア語で勝利者の意味)が誕生します。前輪独立懸架でモノコック構造採用と西側の乗用車に匹敵する近代化を成し遂げ、対独戦に勝利したソ連の国威高揚に繋がるものがありました。

  GAZ M20 Pobeda
 ラフチ・コミ博物館(イスタンブール)にて 2019年3月撮影  









1946年開発という時代を考えると、スタイリングの良さは驚きです。ポペーテは1958年までに23万台が生産、国内だけではなく、東側諸国にも供与や輸出され、広く利用されました。ポーランドでは「ワルシャワ」のネームングでライセンス生産をしています。   

  GAZ M21 Volga
 ラフミ・コミ博物館(イスタンブール)にて 2019年3月撮影  



 開発された系列車輌を含め3世代で、1956年から2010年まで生産されました。このうち番号名M21の車輌はファースト・ジェネレーションと区分され、1956年から1970年までに3シリーズ639,478台生産されています。
3シリーズのファースト・シリーズは1956年から1958年まで生産され「スター」と呼ばれたセダンです。これはフロントグリルに星型のマークを付けていることから命名されました。  






なかなか愛嬌のある丸っこい姿は、1956年当時のソ連社会に芽を吹いた、スターリンの死による「雪解け」への期待を表したような気がします。なにより軽そうに見えます。
 セカンド・シリーズは1958年から1962年に生産されて「鮫」と呼ばれ、サード・シリーズは1962年から1970年まで生産されて「鯨の髭」と呼ばれました。どちらもフロントグリルに起因し、一体化して16本の穴が開いたので「鮫」となり、さらに穴が細くなって増えたので「鯨の髭」になったものです。




 我が国のモータリゼーションの始まりは1958年のスバル・360と言われていますので、ソ連のスタートは相当早かったと思います。
ソ連製乗用車をアテにする諸国も多く、ポベーダ、ボルガを開発した頃の未来は、さぞ輝かしい物だったろうと思います。しかしその後の歴史は、乗用車は旧敵国の西ドイツや日本に追い越され、ソ連自体も消滅するという予想出来ない、劇的な展開でした。  




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