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(Photo) D.H.82 タイガーモス in 海外

by  コルディッツ
博物館実機写真

 1931年初飛行の傑作機の筆頭はデ・ハビランド DH82 タイガーモスと言っても過言ではないと思います。第二次世界大戦前に英国航空省はタイガーモスを大量生産させて飛行学校に交付し、次の戦争に備えました。故佐貫亦男教授は「ここを卒業したパイロットたちが、後の1940年の「英国の戦闘」に活躍したであろうことは想像に難くない」と記しています。(「続・ヒコーキの心」光人社NF文庫)
 そんな由緒故か、英国や英連邦諸国、旧連合国でタイガーモスの人気は高く、飛行可能な機体も数多く残っています。40年以上前にマッチボックスが32のタイガーモスを販売した時、なんでと不思議でしたが、チャーチルの言う「Their finest hour」 を象徴していたからではないかと今頃思います。現代の英国でもヴェラ・リンが第二次世界大戦中に歌った「We'll Meet Again」を、ランカスター爆撃機を背景に歌う The D-Day Darlingsが人気を博しているので、英国人の「Their finest hour」好みは続いているようですね。
 とはいえ、英国のタイガーモスの紹介をするのは面白みがないので、オーストラリアを中心に海外のタイガーモスの紹介をさせて頂きます。
※ 本稿は博物館の標示と「続・ヒコーキの心」(佐貫亦男著光人社NF文庫)を参照しました。

デ・ハビランド DH82A タイガーモス A17-161
 西オーストラリア航空機遺産博物館
(ブルクリーク、パース郊外)にて      2019年12月撮影




 エンジンはデ・ハビランド社開発のジプシー・メジャー 130hp 1基で空冷倒立。老眼の参拝者を考慮して照明を付けて下さる有り難い博物館です。


整備中のジオラマになっていますが、準備した工具類を見ても、整備はしやすいように思いました。


アブロ・ランカスターと同じ格納庫に展示なので、オーストラリアにしては、狭さを感じました。


 A17-161機は1940年にオーストラリア空軍のために、オーストラリアで生産されました。タイガーモスは第二次世界大戦中に9,000機近く生産されましたが、このうちオーストラリアでは1,125機が生産されました。


前方席が教官席になります。


デ・ハビランド特有の曲線の垂直尾翼。実は私は苦手です。




デ・ハビランド DH82C2 メナスコ・モス 4861
 カナダ航空宇宙博物館(オタワ)にて    2004年7月撮影

C型はカナダ向けで寒冷地仕様になっています。キャノピーと暖房装置が付き、尾部のスキッドは尾輪に変更。エンジンをメナスコD4スーパーパイレートに変更したので、メナスコ・モスの名称になりました。


 デ・ハビランド DH82A タイガーモス S-16
 デンマーク技術博物館(ヘルシンガー)にて 2008年12月撮影


デ・ハビランド DH82Aタイガーモス T-8209/10
 ポーランド空軍博物館(クラコウ)にて   2011年5月撮影


デ・ハビランド DH82 タイガーモス 151
 軍事博物館(オスロ)にて         2012年8月撮影

資料はありませんが、機体色、消炎排気管?、爆弾と見ると、夜間騒擾機に使われたのでしょうか?

 デ・ハビランド DH82A タイガーモス G-AMGB
 王室タイ空軍博物館(ドン・ムアン)にて  2017年6月撮影



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