Home  > 米第61戦闘飛行隊のエースが搭乗したP-47C レイザーバック(タミヤ 1/72)> 特集 エース塗装>2022年2月号

特集 エース塗装

米第61戦闘飛行隊のエースが搭乗したP-47C
レイザーバック(タミヤ 1/72)

  by 平針みなみ HIRABARI Minami

 ヨーロッパ戦線の第8航空軍第56戦闘航空群、ゼムケ(ゼムキ)のウルフパックとして有名な56FGのうち、61FSを取り上げてみました。
61FSのエースというとヨーロッパ戦線のエースの双璧、フランシス・ガブレスキーとロバート・S・ジョンソンがすぐに思い浮かびますが、今回は手元にデカールのある次の4人のP-47Cを選びました。 61FSでの撃墜数を併記しています。なお、かっこ内は他スコードロンでの撃墜数も含めた数です。今回製作した塗装は、必ずしもエースとなっていない時のものも含んでいます。時期的には1943年の春から秋にかけてのものとだろうと思います。

ロバート・ラム大尉(Robert Alexander Lamb) 7機
ポール・コンガー中尉(Paul Albert Conger) 6.5機(11.5機)
フランク・マコーリー中尉(Frank E. McCauley) 5.5機
ジョー・パワーズ中尉(Joseph Harry Powers Jr.) 12機(14.5機)

当時のヨーロッパ戦線でのP-47の塗装は、上側面オリーブドラブ、下面ニュートラルグレーで、独軍の空冷エンジン戦闘機Fw190との識別のため、1943年2月あるいは3月から(資料によって違いあり)から、機首エンジンカウリングの先端から24インチのところまで白く塗り、垂直尾翼に12インチ幅、水平尾翼は15インチ幅の白帯を塗った。(1944年2月初旬まで)
また、主翼下面の国籍マークを大きいものにしたりしていました。
垂直尾翼のシリアルナンバーの色はイエローで、位置はタイプによって変わっています。C型が一番高い位置です。

1943年は米国籍マークが2回変更になっています。前年からブルーの円にホワイトの星になり、P-47の胴体の国籍マークには細いイエローの縁取りが付いていました。その後、6月から9月には円の横に「棒」が突き出したものとなり、縁を赤く塗っていました。これは短期間で、縁の色は赤からブルーに変更されています。



 タミヤのP-47D レイザーバックをC型にするには、カウルフラップの下2枚をなくす必要があります。また、下面パーツA21、A22をそのまま接着すると周囲より少し高くなってしまうので、接着面を削りました。

ロバート・ラム大尉
P-47C-2-RE 41-6211 HV-L Jackie
この機体で1943年8月19日、初の撃墜(Fw190)を記録。
この機体は、1943年12月1日、他のパイロットの操縦時に撃墜されたそうです。
塗装図やデカールの塗装指示に、機首の白塗装の直後に黒いラインが入っているようにしているものが多いですが、実機の写真を見るとマスキングテープをオーバーラップした白いミストがあるようなので、マスキングテープを剥がした跡を黒いラインと解釈したものだと思います。垂直尾翼の白帯の上下にも白いミストと思われる筋が見えます。(やはり61FSのエースである、ジェラルド・ジョンソン大尉のP-47D-1 42-7877 イン・ザ・ムードの機首の写真を見るとよくわかります。)
コードレターはステンシルタイプではありません。
Sky Models 72-050のデカールを使用しました。
 実機写真では75ガロンの落下増槽を付けていたので、タミヤのP-51Dのものを取り付けました。





 ラムはD型(P-47D-10-RE 42-75053 HV-L_)に乗換えて、その機体に撃墜マークが7つ描かれている写真があります。


  ポール・コンガー中尉
P-47C-5-RE 41-6401 HV-G “Dream Baby” 
61FSで最初に割り当てられた機(~1943年11月)
Kits-World KW172209のデカールを使用しました。
 デカールのコードレターはステンシルタイプではないが、Roger Freemanの“P-47 Thunderbolt Units of the Eighth Air Force”に1943年晩夏の飛行中の写真があり、それではステンシルタイプとなっている。また、アンテナ支柱はホイップアンテナとなっている。この時の国籍マークは、赤縁付きのもの。このデカールに入っているシリアルナンバーは「416401」となっていて先頭の「4」も含んでいるので、そのまま貼らずに「4」を切り取る必要がある。



  フランク・マコーリー中尉
P-47C-2-RE 41-6271 HV-Z  Rat Racer
この機体には撃墜マークが6つ描かれていますが、認定された撃墜数は5.5です。
Sky Models 72-050のデカールを使用しました。
 このデカールには、ネズミのキャラクターの下に記されている「“RAT RACER”」の文字が用意されていません。
コードレターはステンシルタイプです。
垂直尾翼先端も白く塗られています。



  ジョー・パワーズ中尉
P-47C-5-RE 41-6620 HV-H Powers Girl
Kits-World KW172211のデカールを使用しました。
 この機体は、ノーズアートの部分と右翼のフラップ付近のバトルダメージ写真(1943年6月26日 バトルダメージ右翼後縁フラップ部分)の2葉しか見つけられなかったので、コードレター等の詳細は不明。国籍マークはKits-worldのデカールをそのまま使用しましたが、赤縁付きのものではなかったかと思います。こちらもシリアルナンバーの先頭の「4」を省く必要があります。



  パワーズもD型(P-47D-10-RE 42-75053 HV-L_)に乗換えていて、その機体に撃墜マークが7つ描かれている写真があります。この機体にも機首カウリング右側にPowers Girlのノーズアートがあるとしている塗装図やデカールがありますが、ノーズアートは描かれていないという写真は存在します。

後に62FSのフライト・リーダーとなり、LM-F 42-76363で2.5機を撃墜。最終の撃墜を記録したのは1944年5月12日で、その機のパイロットは、ゼムキを追っていたギュンター・ラルで、ラルは左手の親指を失う重症を負ったという説があります。
パワーズは1951年1月18日、朝鮮戦争時にF-51Dで作戦行動中、対空ミサイルで撃墜され戦死したとのことです。



  Home>米第61戦闘飛行隊のエースが搭乗したP-47C レイザーバック(タミヤ 1/72)> 特集 エース塗装>2022年2月号
Vol.162  2022February.     www.webmodelers.com /Office webmodelers all right reserved /
                    editor Hiromichi Taguchi 田口博通 /無断転載を禁ず/リンクフリー
「webモデラーズ について」 「広告のご出稿について」

プラモデル模型製作特集2

TOTAL PAGE