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誌上個展

<日本航空史> BFW 108b タイフーン

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

 この飛行機を何と記述するのか、BFW 108なのか、Bf108なのか、Me108とするのかは、私は分からない。『昭和十五年版 日本民間飛行機全輯』(工人社『空』臨時増刊)は、「BFW式 BF108b 陸上機」とある。『日本航空機総集 輸入機篇』(出版協同社、1972年)は、「BFW 108b タイフーン 連絡機」。『週間エアクラフト』№152(1991年10月15日)は「メッサーシュミット Bf108 タイフーン」、『日本昭和航空史 新聞報道通信機編』(モデルアート社、平成5年)の本文には「読売は…BFW108タイフーンを購入して…その頃オリンピック会場上空にメッサーシュミットMe109戦闘機が初めて姿を現し、世界の注目を集めたが読売は早速この人気にあやかり、メッサーシュミットMe108」タイフーンと呼んで宣伝した」とある。掲載写真のEduard社1/48キットは「Bf 108」とあって、これは満州航空機がつくれる製品を組んだもの。



 『日本航空機総集 輸入機篇』によれば、Bf 108は「…読売新聞社の連絡機として使われた。…満州航空にもローカル線用の小型輸送機として、鉄道でも自家用機として使用された」とある。私が知らなかったことで、Bf108は主翼がF4Fのように後ろへ折りたためるようだ。折れる場所は、胴体横にあるステップの黒の外側すぐの位置。前縁を下に・後縁を上にして、胴体と平行に折れる。その図が『昭和十五年版 日本民間飛行機全輯』に描かれている。そうであれば、主脚が胴体についている理由がわかる。この設計方針がそのまま並列座席を単座にしたBf109に引き継がれて、脚間隔がやけに狭くなり、主翼は簡単に取り外せる方式になったのではないか、と思うようになった。
 満州航空は民間なのだが、日本陸軍が満州地域で使いやすい航空輸送会社として設立した国策会社だ。満州航空はJu86も運航していて、これは即時に軍用化武装ができるようになっていたらしい。それで民間航空か、と言いたいかもしれないが、私が住む上空は米軍横田基地の離着陸ルートにあり、今でも毎日のように民間機塗装の輸送機が飛来している。




 組んで初めて気付いたのだが、キットにも塗装図にも翼端灯がない。なくても、この時代ならば珍しくはないのだが、『日本航空機総集 輸入機篇』の巻頭写真ページのBf108には翼端灯も尾灯もある。それも『昭和十五年版 日本民間飛行機全輯』の読売新聞社機とは翼端灯の位置と形が違う。機体による差異があるようだ。掲載の彩色絵葉書をみると満州航空使用機には少なくとも翼端灯が確認できる。
 なによりもキットでよく分からないのは、満州航空とうたいながら5色旗のマークでないこと。個人的には勝手な理念を表したマークでないことに心が落ち着くが、満州航空とうたう模型としては掲載した彩色絵葉書のような5色旗のマークが適切だと思う。 
 最後もプラモデルの話題になるが、Eduard社の1/48キットは上反角が弱くなりやすい。実機は桁下面で5度38分だそうだ。工夫して上反角を決めたいが、困ったことにこのキットは左右主翼が一目で分かるほどに厚さが違う。ゆえに上面のカーブも違うので、片方を薄く削ったり・逆に他方にスペーサーを入れたりすれば解消するというものではない。必然的に、上反角も左右で違って見える。さあ、どうする、となる。私は「プラモデルだからね、まあイイや」でオシマイにした。


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