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誌上個展

<日本航空史> アンカレッジ国際空港

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

 以前ならばアンカレッジ国際空港は、ヨーロッパに行く、アメリカに行く、そのときの航空便で立ち寄った空港だったのだが、直航する時代になってからは聞かない空港名になった。日本人の海外旅行が普通になって以降で、欧米に直航するようになるまでの期間っていつのことなのかというと、1970年代から1980年代くらいらしい。だから、アンカレッジ国際空港を知っているか・いないかは、世代間格差がある。アンカレッジ国際空港には日本人向けのお店や食堂がたくさんあったように思う…ということは、私は知っている世代ということになる。当時を知っている人にとってアンカレッジ国際空港は、ちょっと良い印象が多いように思う。半分ニッポン、みたいなところが良かったのかもしれない。

 アンカレッジ国際空港の利用は飛行ルートの課題だけでなく、使用する飛行機の航続飛行距離も大きく影響していたようだ。電車やバスでも分かることだが、途中の駅や停留所にとまらないだけで、相当に早く目的地へ着く。例えばコンコルドの最高速度がどれだけ高くても、飛行距離が短くて途中で着陸すれば最終地への到着は一気に遅くなる。しかも住宅地上空で音速を超えて飛ぶなんて絶対ダメだし、海上だからといってやたらと高速で飛んだら燃料ガブ飲み状態。それでお客様の人数が少なかったらお値段は高額。航空会社はやっていられない。ムリして高速にしなくても、目的地に直行ならば機内食も楽しみだし、降りたときには目的地ならばお客様はウハウハ。航空会社も、たくさんの人を低額で運べて嬉しいな、ってなる。
…ということは、途中で降りてもモンクを言わない荷物や、一気に飛ぶ燃料の分まで貨物にしてしまってお得にしたい貨物便は、旅客便とは違う考え方があるともいえる。そんなこんなで、アンカレッジ国際空港に縁がうすくなったのは旅客便のことらしい。それがホントなのかどうかは、まだ貨物になった経験がない私には判断できない。



  写真は、40年近く前にアンカレッジ国際空港へ立ち寄った方からいただいた写真。頭の大きな飛行機は、エビエーション・レーダーズATL-98カーベア。中古のDC-4の改造機で、操縦席前がパカッと横に開く。乗用車ならば4~5台を飲み込み、お客様は胴体後部に20人くらい乗れるらしい。海を渡るカーフェリーの飛行機版ってところか。どこかの会社でプラモデルにしていたと思う。



 もう一つのC-133カーゴマスターは、横田基地の飛行ルート下に住んでいる私には、それほど珍しくない。こちらはC-5ギャラクシーの配備と交代で引退した機種とのことで、そういわれればそのころに見なくなった。こちらは三和製金型のキットを持っているので、そのうちに作ろうと思う。
 
 今回の日本航空史は国際線の変化を語ってはいるが、肝心のアンカレッジ国際空港らしい写真がない。カーベアを掲載したいがためのアンカレッジ国際空港の記事だったのか、と言われれば、まあその通りなのだ。


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