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誌上個展

<日本航空史> 93式双軽爆撃機

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

 93式双軽爆撃機は、愛国1号になったユンカースK-37にならって造られたヒコーキだという。
9ナントカ式でも、95以下の数字になると、私は形を思い浮かべられないヒコーキが多い。93式双軽爆撃機も、かなり怪しい範疇だ。
トタンで囲った物置で作ったヒコーキのようだが、渡辺利久氏は『ホビージャパン』1977年7月号に掲載した93式双軽爆撃機の図面解説に、「この機体で宙返りをやった」とか「勃興期の陸軍航空の中の優秀機」と書いている。佐貫亦男氏は『続々・飛べヒコーキ』(光人社NF文庫)に「性能も満足で、エンジンの信頼性は高く、片発飛容易で、パイロットたちの評判はよかった」と書いているし、後には練習機として使われているから、よいヒコーキなのだろう。


飛行中の93式双軽爆撃機1型

 固定脚の1型の最大速度は時速220キロ。開発中のことが刈谷正意『日本陸軍試作機物語』(光人社、2007年)にあって、三菱では引っ込み脚を提案したのもの軍は「当分必要なし」と回答したとある。見本としたK-37に軍が固執したようなのだ。2型になると引込み脚で、エンジンも強化されているから、エンジンナセルはずっと大きくなっている。この時代には固定脚のヒコーキの発展型がいつの間にか引込み脚になったケースがいくつかある。ドーントレスの先祖は半引き込み式、テキサンやP-36系統も先祖は固定脚がある。これらは徐々に洗練されたが、93式双軽爆撃機は改造によってますます奇奇怪怪な姿になり、ヨーロッパのお城か戦車が飛ぶのかと思うような造形に発展した(それでも93式双重爆撃機よりはマシかもしれない)。
 この2型を改造して作った民間機が、朝日新聞社機の鵬型長距離機だ。機首を整形し銃座を撤去、風防を前後席連結にした長いものにしたことで、見違えるようにスマートになった…のだが、2型の生産は昭和11年だそうで、なんと海軍の96式陸上攻撃機の制式と同じ年だ。いくらパイロットたちの評判はよかったとしても、この格差はひどい。 


鵬型長距離機

 さて資料だが、『日本航空機総集 第一巻 三菱篇』(出版協同社)が基本か。『モデルアート』1970年4月号には図面と写真がある。『ホビージャパン』1977年7月号の図面は「その1」で、「その2」は持っていないので分からない。資料としてはどれも充分に古い。『日本陸軍試作機物語』の原文は『航空ファン』に1957年から1959年に連載されたもの。ほかにもあるだろうが、プラモデルはないし(レジンキットはあったと思う)、興味ある方も少数だろうから新製品登場は期待できない。資料はこのくらいの紹介で支障ないと思う。


1型の3座改造タイプ


迷彩塗装

 写真は、練習機で使用している1型の3座改造タイプ、飛行中の1型と迷彩塗装、鵬型長距離機。
3座改造タイプの機体には操縦席から主翼にかけて線が描かれている。編隊を組むときの目安線だろうか。実戦では、93式双軽爆撃機が編隊長機、2・3左右に番機は93式単軽爆撃機で組むそうだ。経費節減対策だったようだが、どうしたって個々の動きを低性能側に合わせることになる。実戦で、それで良かったのだろうか。
色刷りの側面図は、今日のカードゲームのようなものらしい1枚。機体は灰色でカウリングは黒と分かる。「当たり前の色だ」と思うかもしれないが、当時のもので色が確認できることに意味がある。迷彩塗装は、昭和13年8月の同盟ニュースで報じられたもの。迷彩塗装については、来月に取り上げる予定だが、せっかくなのでここにも入れた。


カードゲーム(?)の図


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