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CARRIER AIR WING FIVE

CVW-5


Photo. U.S. NAVY
by Kiyoshi Iwama

“Tip of the Sword” 、CVW-5のハンガーに描かれた彼らのスローガンである。空母を守る剣の先は、彼ら自身であり、「剣の先の如く鋭くあれ」と戒めている。またそれは遠く母国を離れ、太平洋の西岸に置かれた剣の先をも意味するように思われる。海外を拠点とする米海軍唯一の空母航空団としてCVW-5が厚木基地に本拠地を置いて、35年が過ぎた。その間、飛行隊の編成や使用する航空機も大きく変わり、その年月の長さを感じさせる。もう少しで在日40年を迎えるが、そのとき彼らは、その記念日を岩国基地で迎える。
我々飛行機ファンを大いに楽しませてくれたCVW-5であるが、厚木基地での活動も残り少なくなった。これを機会に、CVW-5のこれまでを振り返ってみたい。

第1話 誕生

  CVW-5の前身であるCVG-5:Carrier Air Group FIVEが編成されたのは、第二次大戦中の1943年2月15日であった。CVG-5が最初に搭載された空母は、CV-10 ”USS Yorktown”であったが、彼らは、初代の” Yorktown”の船体ナンバー(CV-5)である”FIVE”に敬意を表し、その”FIVE”を引継ぎ、自らの航空群の呼称とした。この初代のヨークタウンは、1942年6月7日、ミッドウェー海戦において日本の潜水艦“伊-168”の魚雷攻撃を受け沈んでいる。
  
 さて、CVG-5が搭載されることになった2代目のCV-10 ヨークタウンは、当初”Bon Homme Richard”と命名されるはずであった。しかし、ミッドウェーで沈められたヨークタウンを追悼するため、急遽
”Yorktown”と命名されることになった。

CV-5 USS Yorktown

U.S. Naval Historical Center Photograph
(# NH 50330).

CV-10 USS Yorktown(II)

Official U.S. Navy Photograph of the National Archives (photo # 80-G-238298).

 CVG-5は、ヨークタウンとともにノーフォークの近海で訓練を重ね、1943年7月6日にチェサピーク湾を後にした。そしてパナマ運河を通過し、一路、ハワイの真珠湾へと向かう。真珠湾へは7月24日に到着、そしてハワイで約1カ月の戦闘訓練を行い、8月22日にその初陣となるマーカス島(南鳥島)攻撃のため真珠湾を出発する。このときのCVG-5の編成は下表の通り。

飛行隊 VF-5 VB-5 VT-5
ニックネーム Screaming Eagles unkown Torpcats
機種 F6F-3 SBD-4 TBF-1
機数 36 36 18

 第5戦闘飛行隊VF-5は、1943年から量産が開始されたばかりのF6F-3ヘルキャットを受領し、1943年8月31日にF6F-3の初出撃を記録している。第5爆撃飛行隊VB-5は、当初、急降下爆撃機SBD-4ドントレスを運用していたが、1943年4月からSB2Cヘルダイバーに機種を変更し、その後も短期間で、SBD-5、SB2C-3、SBW-3、SB2C-4、SB2C-4Eと更新を繰り返している。また第5雷撃飛行隊は、編成当時はTBF-1アヴェンンジャーを運用していたが、10月にはTBF-1C、1944年9月にはTBM-3、1945年6月にはTBM-3Eと同様に機種を更新しており、改善が次々に進められた当時の状況を反映している。

マーカス島の攻撃は、CV-9 エセックス,CV-10 ヨークタウン、CVL-22 インディペンデンスの3隻の空母機動部隊を主軸とするもので、1943年9月1日に開始された。CVG-5は、ヨークタウンとともに、攻撃に参加、この攻撃で島の70%以上の施設を破壊しつくした。下の写真は、マーカス島攻撃の前日となる8月31日に、空母ヨークタウンの飛行甲板上で撮影されたVF-5所属のグラマンF6F-3 ヘルキャットである。VF-5のヘルキャットは、写真でも判るように濃淡ブルーと白の3色に塗り分けられていた。
また写真の機体は、水平尾翼の尾部胴体に”00”のナンバーが描かれており、CAG機であることが分かる。


ヨークタウンの飛行甲板で点検を受ける
VT-5のTBF-1(1943年後半)
http://www.ww2aircraft.net/

 
ヨークタウン上で発艦の順番を待つVF-5
のCAG機(1943年8月31日)
U.S. National Archives photo
 その後CVG-5とヨークタウンは、10月にはウェーキ島、11月にはギルバート島、12月にはマーシャル諸島の攻撃と中部太平洋を進撃した。そしてCVG-5は、1944年5月11日までヨークタウンと行動を共にしている。
                           
 8番目のエセックス級空母として新しく建造されたCV-13 “USS Franklin” が就役すると、CVG-5は、フランクリンに乗り移る。そしてCVG-5は、フランクリンとともに1944年10月にフィリピン海での戦闘に参加。翌1945年3月には九州沖合までに迫った。






 しかし3月19日、フランクリンは日本海軍機の攻撃を受け、2発の250kg爆弾が甲板を突き抜け、格納庫で爆発。発生した火災は燃料やウェポンを満載した航空機に燃え移り、CVG-5の機体の大半が焼失してしまった。
同時に、フランクリンも修理不能なダメージを受け、戦線離脱を余儀なくすることになる。
 
 こうして航空機を失ったCVG-5は、再整備されることなく、終戦を迎えることとなった。


ヨークタウンを発進するVF-5のF6F-3(1943年11月)
Official U.S. Navy Photograph of the
National Archives
(# 80-G-204747-A)


 第二次大戦後、CVG-5は太平洋へ展開するため、カリフォルニア州のサンディエゴへ移動する。
 一方、米海軍は1944年6月29日に空母航空群の呼称を、搭載空母のサイズに合わせて変更する命令を発令。これによると、大型空母の航空団はCVBG、中型空母の航空団はCVG、軽空母の航空団はCVLG、そして護衛空母の航空団がCVEGと呼ばれることになった。しかし、戦争の終結によって部隊の解隊などが進められ、1946年11月15日には、飛行隊の呼称変更とともに、空母の種別も再度変更され、空母航空団も、戦闘空母航空団(CVBG)と攻撃空母航空団(CVG)に分類されることになる。こうした中、CVG-5も、1946年11月15日にCVAG-5に、また同航空団飛行隊のVF-5もVF-5Aに呼称変更された。(この章終わり)


1943年~1945年の艦載機の塗装 (WINGS PALLETE http://wp.scn.ru/en/ 参照)



Grumman F6F-3 Hellcat of VF-5, CV-10 USS Yorktown in 1943


Douglas SDB-5 Dauntless of VB-5, CV-10 USS Yorktown in


Curtiss SB2C-1C Helldiver of VB-1, CV-10 USS Yorktown in 1943


Grumman TBF-1 of VB-8, CV-17 USS Bunker Hill in 1943

Grumman TBF/TBM Avenger

主翼と水平尾翼の上面:セミグロスのシー・ブルー(FS25042)

胴体上面と主翼、および水平尾翼前縁:シー・ブルー(FS35042)

胴体と垂直尾翼の側面: 水色(FS35164)

機体下面:白(FS37855)



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