1937年ドイツ空軍省は「短距離偵察及び直協機として使用でき単発三座で視野がすぐれている機体」として航空メーカー2社(アラド社とフォッケゥルフ社)に開発を指示した
高翼単葉のAr社案は失敗し仕様にない双発双胴の機体で応じたFw社(Fw189)案が採用された。
これで新型短距離偵察機はFw189に決定するところではあったが
当局から開発指示を受けなかったブローム・ウント・フォス(以下Bvと表記)社は何故か自主開発で双ブーム式の機体から片方(右側)のブームを取り去り、主翼の位置をオフセットさせた「非対称偵察機」Bv141を提案した
この機体形上の利点はコクピット右側の視界は通常の機体より限りなく広く、大きく左側へシフトした水平尾翼のお陰で後部射手は後方へ気兼ねなく射撃することが出来た。
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この非対称の形上はBv社のフォクトー博士が空軍省の要求を満足させることが出来ると強く主張し会社側が受け入れたものである。
空軍省としてはFw189の採用を決定したのでBv社案は不要であったが技術部長のウーデット将軍が応援してしぶしぶ開発を命じた。
試作機(Bv141v1)は1938年2月に初飛行しその奇妙な形にも関わらず搭載したエンジンの出力が低かったことと油圧系統に問題は抱えていたのを除けば飛行試験は良好であったので引き続き開発が続行された。エンジンを出力アップしたBMW801に換装し機体構造を強化したBv141B-1が1941年に初飛行したが既にFw189が配備されている中ではその特異な機体体形上の優位性は見当たらず1942年の春開発中止を命ぜられた。
飛行機は左右非対称でも飛ぶことが出来ることを実証した航空機史上に残る名(迷)機である
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