1936年に勃発したスペイン市民戦争にソビエトは左派である人民背線側に多くの軍事支援や航空機部隊の派遣をしており当時の主力戦闘機であるI―15の派遣もその一つであった。
派遣されたI-15は反政府側のHe-51やCR-42に圧倒的な強さを誇り航空戦を有利に導いたがフランコ革命軍側にドイツからBf-109の初期型が派遣されるとその優位性は崩れ去り空中戦は複葉機の得意とする格闘戦から一撃離脱を主とする戦いへと変貌した。
空中戦の変貌を感じ取ったポリカルポフ設計局ではI-15の格闘性能を維持しながらさらなる速度性能の向上を図る為引っ込み脚を採用したI-153を開発した。
800~900馬力程度のエンジンで単葉の引っ込み脚の戦闘機を必死になって開発していた日本やイタリアに比べると1000馬力のエンジンを持ち複葉引っ込み脚を持つI-153の開発は当時のソビエト空軍がまだ複葉戦闘機の優位を信じている証拠でもあろう。
1938年に生産を始められ逐次配備されていったI-153では有ったが1939年に起きたノモンハン事変では軽量で運動性の良い日本陸軍の95式戦や97式戦に劣勢を強い入れられ複葉戦闘機の時代は終わった。
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時代にそぐわない旧式機となりながらも僚機であるI-16と共に配備され続けられた。
1941年の独ソ戦開始時では多くの機体が開戦当日に地上で撃破されたが残った機体は退却する赤軍援護の為の地上攻撃や絶望的な独逸の爆撃機への迎撃に投入された。
視界を確保する為にガルウイングタイプの上翼を採用したのでチャイカ(カモメ)と言う愛称で親しまれた。
<性能>
全幅・10.00m
全長・6.17m
全高・2.80m
最大重量・1859kg
エンジン・M-63 1.100馬力
最大速度・450km
航続距離・900km
上昇限度・9,000m
武装・ 7,62mm機銃×4
爆弾・ 100kg
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