フェアリー・ファイアフライ (Fairey Firefly) とは、イギリスのフェアリー社が開発した、レシプロ単発の複座艦上戦闘機です。
撮影時期:2010年7月 撮影場所:ヨービルトンFAA博物館
http://www.fleetairarm.com/
1939年3月にイギリス空軍省は、現用のグロスター・シーグラジエーター、ブラックバーン・スクア、フェアリー・フルマー等の後継機となる複座艦上戦闘機として、前方発射機銃を装備したN.8/39と、同じ機体に動力銃座を装備したN.8/39の2種類の要求仕様を提示した。英国海軍は日米とほぼ同時期に全通甲板を備えた航空母艦を保有したが、英国海軍省は艦上戦闘機に制空以外に攻撃、偵察、索敵等も担わせる為、航法士を兼ねた観測員が同乗した複座戦闘機を要求した。
空軍省は新たな要求仕様N.5/40Fを提示し、1940年12月にフェアリー社に複座艦上戦闘機を200機発注し、同機はファイアフライと命名された。原型機は1941年12月22日に初飛行し、1942年4月28日にボスコム・ダウンの航空機実験機関(A&AEE)に引き渡された。最初の量産型ファイアフライF.1は1943年7月7日から納入され、1943年10月1日にヨービルトン基地で初の実戦部隊1770飛行隊が編成された。1944年7月に同航空隊は空母インディファティガブルに配備されノルウェー方面で作戦行動を実施し、ドイツ戦艦テルピッツの攻撃にも参加した。太平洋戦線では1945年1月にスマトラ島の製油所攻撃で隼や鐘馗等の日本戦闘機を撃破し、同年4月に沖縄戦にも参加した。
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ファイアフライF.1は、一段二速過給機が付いたロールスロイス・グリフォンIIB(1,735馬力)エンジンを装備し、ロートル3翔プロペラを駆動した。パイロットの後方に観測員が搭乗する複座機で防御機銃は無かったが、主翼に4門の20mm機関砲を装備し武装は強力だった。複座機なので単座機より重かったが、機体が大きい分余裕が有った様で、ファイアフライF.1系は、戦闘偵察機型FR.1、レーダーを装備した夜間戦闘機型NF.1、複式操縦装置を備えた複座練習機型T.1、標的曳航機型TT.1等各型合わせて872機生産された。
フェアリー社は1943年初めに、高出力のロールスロイス・グリフォン61(1,980馬力)を装備したファイアフライF.3を開発したが、操縦性が悪く予定より性能が向上しなかったので量産されなかった。フェアリー社はファイアフライF.3の失敗を受け、機体を改設計し、より高出力のロールスロイス・グリフォン72(2,330馬力)エンジンを装備し、ロートル3翔プロペラを駆動するファイアフライFR.4を開発した。FR.4はラジエターが機首下面から主翼前縁に移され洗練された外形になり、速度とロール率向上の為に翼端が角形に切り落とされた。
ファイアフライF.1を改造した原型機は1945年5月25日に初飛行したが、開発の遅れで量産機の引渡しは1946年9月になり、第二次大戦に参加せずに終わった。大戦後もファイアフライFR.4の生産は続いたが、1947年12月12日に初飛行した発達型Mk.5に取って代わられた。Mk.5系は戦後型ファイアフライで最も成功した型で、戦闘偵察機型FR.5、対潜哨戒機型AS.6等、各型が352機製造されイギリスの他、カナダ、オーストラリア、オランダ、スウェーデン等、世界各国で使用された。
イギリス海軍のファイアフライの、最後の実戦参加は朝鮮戦争だった。
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