設計者にとっては「アイアン・ドック」と呼ばれるのは不本意ではあるがこの機体を一言で表す言葉としてはこれ以上適切な言葉は無い。
本来排気タービンを搭載し大口径の機関砲で高高度を来襲する敵爆撃機を迎撃するコンセプトで作られたのにアメリカ陸軍当局の作戦思想の変更で低空を飛ぶ鈍重な戦闘機になり果てたのは設計者やメーカーの責任ではない。
排気タービンを積んだ高速戦闘機としてP-39は1939年4月6日に初飛行し高度6100mで水平速度624kmを記録した。 |
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当局からの仕様変更や搭載エンジンの変更そして防弾装備を施されると一気に自重が増加しおまけに低空専用のエンジン換装ではとうてい高速戦闘機としては使えず試作機の好性能に目を奪われ採用したイギリスでは実戦投入後早々と戦闘任務からは引き上げられてしまい後にアメリカから送られたP-39の殆んどをソ連へ押し付けた。押し付けられたソ連はこの機体の持つ37mm機関砲と12.7mmと言う武装に目を着けドイツ軍戦車への地上攻撃機として使用し多大な戦果を挙げた。
目を転じて太平洋戦線ではガタルカナルを巡る激戦においては日本海軍のゼロ戦には歯が立たず多くの損害を出しながらもアメリカ軍の一番辛い時期を支えた戦闘機として航空戦史に残る戦闘機でもあった。 |