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CARRIER AIR WING FIVE

CVW-5

Part18                                  Photo. U.S. NAVY

by Kiyoshi Iwama

Tip of the Sword” 、CVW-5のハンガーに描かれた彼らのスローガンである。空母を守る剣の先は、彼ら自身であり、「剣の先の如く鋭くあれ」と戒めている。またそれは遠く母国を離れ、太平洋の西岸に置かれた剣の先をも意味するように思われる。海外を拠点とする米海軍唯一の空母航空団としてCVW-5が厚木基地に本拠地を置いて、35年が過ぎた。その間、飛行隊の編成や使用する航空機も大きく変わり、その年月の長さを感じさせる。もう少しで在日40年を迎えるが、そのとき彼らは、その記念日を岩国基地で迎える。
我々飛行機ファンを大いに楽しませてくれたCVW-5であるが、厚木基地での活動も残り少なくなった。これを機会に、CVW-5のこれまでを振り返ってみたい。

これまでのあらすじ

資料記事
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第17話 湾岸戦争とミッドウェイの退役
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第16話 ホーネット時代の到来
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第15話 Midway Magicとファントム時代の終焉
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第14話 再び平和に
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第13話(Rev.B) 日本へ 
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第12話(Rev.C) ヴェトナム戦争(後編)
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第11話(Rev.C) ヴェトナム戦争(中編-3)
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第10話(Rev.C) ヴェトナム戦争(中編-2)
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第9話 ヴェトナム戦争(中編-1)
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第8話 ヴェトナム戦争(前編)
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第7話 東西冷戦、朝鮮戦争後
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第6話 朝鮮戦争(後編)
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 (第5話)朝鮮戦争(中編)
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 (第4話)朝鮮戦争(前編)
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 (第3話)朝鮮戦争勃発
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 (第2話)ジェット時代の夜明け
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 (第1話)誕生

第18話 ミッドウェイからインディペンデンスへ

1991年8月10日、空母インディペンデンス(CV-62)と交代するため17年間の日本滞在に別れを告げ横須賀基地を出港した空母ミッドウェイ(CV-41)は、厚木から飛来したCVW-5の艦載機群を収容し、一路ハワイの真珠湾を目指した。一方空母インディペンデンスは、CVW-14を載せ8月5日にカリフォルニア州のサンディエゴをハワイに向け出港した。このときのCVW-5とCVW-14の編成は、表18-1と表18-2に示すとおりである。

表18-1 1991年8月10日、横須賀から真珠湾に向かうときのCVW-5の編成


表18-2 1991年8月5日、サンディエゴから真珠湾に向かうときのCVW-14の編成



8月22日、空母ミッドウェイはCVW-5の艦載機を搭載して真珠湾に入港した。既に空母インディペンデンスは到着しており、ミッドウェイはインディペンデンスが停泊するバースの反対側に並行する形で停泊した。その後8月22日から28日の間に、“The Great Carrier Air Wing SwapEx”として知られる、CVW-5とCVW-14との人員と機材の交換が行われ、期間中に極東配備空母の交代セレモニーが開催された。両空母に搭載された大半の機体は、所属の書き換えだけであったが、既に機体の更新が図られていた飛行隊では、機体の載せ換えが行われた。そしてCVW-5は20年間行動を共にしてきた空母ミッドウェイを離れ、新たに米海軍横須賀基地に配備される空母インディペンデンスへの移動を完了したのである。改編された新しいCVW-5の編成を表18-3に示す。




1991年8月22日、CVW-5の艦載機を飛行甲板に並べ、ハワイの真珠湾に入港する空母ミッドウェイ
出典: U.S. Navy Official Photo Archive




真珠湾のバースに並んで接岸する空母USS インディペンデンス(上側)と空母USS ミッドウェイ
出典: U.S. Navy Official Photo Archive

表18-3 改編後のCVW-5の編成

さてここで新しいCVW-5の改編内容について整理しておく。基本的にはインディペンデンスが搭載してきたCVW-14の飛行隊を引き継ぐ形態となる。新たに加わるF-14Aを装備する戦闘飛行隊のVF-154とVF-21、そして対潜機S-3Bを装備するVS-21については、そのまま移管され、F/A-18Aを装備したVFA-192とVFA-195は、機種更新したばかりのVFA-25とVFA-113と機材交換を行い、装備機をF/A-18Cにアップグレードされた。そして、VA-115は給油機のKA-6Dを放出、A-6Eの一部をVA-196と交換するとともに、解散するVA-185から補充機を受け、A-6E 14機体制に改編。またVAQ-136もVAQ-139のEA-6Bと全機交換し(1機は事前に到着した補充機)、5機体制に改編された。VAW-115は既に1991年5月15日、フィリピンのNAS Cubi PointにてCVW-14のVAW-113 との間で、4機のE-2C(NF600~NF603)の交換を終えており、今回5機体制への改編にあたり、VAW-113よりさらに1機のE-2Cの補充を受けた。そして今回変更がなかったのは、捜索・救難・人員輸送を担当するHS-12のみであった。またモデックス・ナンバーであるが、表18-3にも示すように、戦闘飛行隊のVF-154が100番台、VF-21が200番台を占め、戦闘攻撃飛行隊のVFA-192とVFA-195がそれぞれ300番台と400番台となり、攻撃飛行隊のVA-115が変化なく500番台となった。さらにVAW-115が600~604、HS-12は変更なく610番台、VAQ-136が620~624へと変更され、対潜飛行隊のVS-21に700番台が与えられた。このようにCVW-5は、従来の編成に比べ大幅に規模と能力をアップし、やっと他の空母航空団と同一規模に達した。今回の改編は、空母ミッドウェイの老巧化によるところが大きいが、米国のアジア・太平洋地域への安全保障戦略の変更も見逃すことができない。

今回のCVW-5の改編に関わる事前の動きについても少し触れておく。空母ミッドウェイ(CV-41)が日本を離れる約1ヶ月前の1991年7月12日、厚木基地へ、テイルレター「NK」(CVW-14)の4機のA-6Eと2機のEA-6Bが到着している。これらは、その時期空母インディペンデンス(CV-62) に搭載されていたVA-196とVAQ-139の所属機である。いずれもCVW-14からCVW-5への補充機でA-6EはVA-115へ、EA-6BはVAQ-136に引き渡された。補充されたA-6EはSWIP(System Weapon Integration Program)改修を受けたNK500、NK502、NK503、及びNK504である。VA-115はインディペンデンスへの移動にあたり、給油機のKA-6Dを手放し、A-6E 14機体制へと改編されることが決まっており、このとき飛来したA-6Eもバディー空中給油タンクを装着しており、KA-6Dに替って給油ミッションにも対応できるようになっていた。一方新しくVAQ-136に補充されたEA-6Bは、NK623とNK624で、これもCVW-5の改編を睨み、事前にシフトされてきた機体で、NAS North Islandから直接飛来している。またこのときの補充機は、空母ミッドウェイとともに一旦ハワイへ向かい、ハワイでインディペンデンスへ移動し、再び厚木に帰還している。

また空母ミッドウェイが真珠湾に入港した翌日の8月23日、厚木基地に4機のF-14Aと1機のVAW-113のE-2Cが降り立った。4機のF-14Aの内訳はVF-154のNF100とNF111、そしてVF-21のNF201とNF210である。これら先遣隊のF-14Aは、カリフォルニア州のNAS Miramarから直接飛来したもので、カウンターシェードのロービジ塗装の機体には既に「NF」のテイルレターが入っていた。一方、E-2CはCVW-14からの補充機でVAW-115が定数変更に伴い、追加の1機が事前に飛来したものである。この他VS-21のS-3Bも1機(NK700)が、カリフォルニア州のNAS North Islandから厚木へ直接飛来する等の動きがみられた。

さてハワイでの空母航空団交換の後、ミッドウェイは、インディペンデンスより一足先に真珠湾を離れた。そして真珠湾を出た後太平洋を北上、ワシントン州のシアトルに立ち寄り一般公開されている。その後カリフォルニアへ向かい、9月14日に新しい母港となるノースアイランドに到着した。ミッドウェイには、機材を交換したCVW-14の各飛行隊の他、CVW-6に移動するVFA-151のF/A-18Aと、8月31日付で解隊となったVA-185 のA-6E/KA-6Dとが搭載されていた。VFA-151はその後カリフォルニア州のNAS Lemooreに移動し、シスタースコードロンのVFA-137と合流の後、CVW-6へ配属され、フロリダ州のNAS Cecil Fieldへと移動した。また元VA-185のA-6E/KA-6Dはカリフォルニア州のNAS Whidbey Islandへと移送された。

一方空母インディペンデンスは、改編されたCVW-5を載せ、新たな母港となる日本の横須賀を目指し、8月28日に真珠湾を出港した。ハワイから太平洋を渡り横須賀に向かう空母インディペンデンスでは、日本への挨拶の写真撮りの準備が進められていた。航空機を飛行甲板に整列させ、飛行甲板に人文字で「はじめまして日本」と描き、公式写真が撮影された。そして横須賀入港前日の9月10日に、CVW-5の艦載機群を厚木に向け発進させた。関東地方は、台風接近による生憎の天候であったが、その荒天の中、F-14Aをはじめとする新しいCVW-5の機体が次々と厚木基地のランウェイへと進入、着陸していった。CVW-5のエプロンでは、各飛行隊の機体が次々とランプイン後、グランドクルーに誘導され整列駐機する壮観な光景が見られた。また格納庫内では、先遣隊の機体の一部が展示され、新生CVW-5の到着を祝うセレモニーが、基地司令官の主催で開催された。

艦載機群を厚木へと送りだした空母インディペンデンスは、翌9月11日の午前、東京湾に入り、海上自衛隊第1護衛艦隊群所属の対潜ヘリ、放水船、そして米海軍、海上自衛隊の関係者の見守る中、米海軍横須賀基地に入港した。一方インディペンデンスの飛行甲板の舷側には乗組員が整列し、登舷礼で出迎えの人たちに応えた。そして多数のタグボートによって巧みにコントロールされ、インディペンデンスの巨体が横須賀基地の12号バースにゆっくりと接岸した。その後、新たな空母の到着を祝うセレモニーが開催されている。このフォレスタル型4番艦にあたるインディペンデンスは、通常型空母であるものの、乗組員は5,249名、最大排水量が80,643トンにも及ぶ大型の空母である。



日本近海で「はじめまして日本」の人文字を見せる空母USS Independence
出典: U.S. Navy Official Photo Archive



1991年9月11日の朝、横須賀基地に入港する空母USS Independence
出典: U.S. Navy Official Photo Archive


一方、空母ミッドウェイの入港時もそうであったが、インディペンデンスの母港化に反対する市民グループが海上デモや、基地周辺での抗議集会を開催し、シュプレヒコールを上げた。

こうして米海軍第7艦隊の新たな主力空母となった空母インディペンデンスと改編なったCVW-5は、新しいホームベースにその第一歩を記した。そして9月29日には横須賀基地で、到着したばかりの空母インディペンデンスの艦内や飛行甲板の一部が一般公開され、大勢の人が訪れた。しかし、艦載機は既に厚木へ降ろした後で、格納庫内や飛行甲板には艦載機の機影は見られず、飛行甲板の後方に、整備訓練用かと思える飛べないF-4Sが1機、置かれていた。



公開されたCV-62 USS Independenceの艦橋。飛行甲板には大勢の見物客が見える。(1991年9月29日)
写真: 筆者撮影




12号バースに横付けされた空母インディペンデンス
写真: 筆者撮影




インディペンデンスの飛行甲板上のF-4S
写真: 筆者撮影

ここで少し本論の趣意から逸脱するかもしれないが、CVW-5に新たに配属となったVF-154とVF-21とが保有する新しい能力について少し触れておく。その能力とは、戦術偵察能力と、対地攻撃能力の2つである。改編されたCVW-5では、VF-154の一部のF-14Aに戦術偵察能力が、またVF-21の一部のF-14Aに対地攻撃能力が付与されていた。

まず偵察能力であるが、RF-8GやRA-5Cの退役で艦載戦術偵察機を失くした米海軍は、海兵隊のRF-4Bに頼っていたがこれも退役となり、F/A-18の偵察型が配備されるまで、専用の戦術偵察ポッドTARPS(Tactical Air Reconnaissance Pod System)を開発し、A-7Eを改修したRA-7Eに搭載し、カバーしようとした。しかしこの計画はキャンセルされ、海軍はTARPSをF-14に搭載することに変更する。ポッドの開発は1976年4月に開始され、1977年9月にはF-14の量産前試作機にダミーポッドを搭載して、空力特性データ取得の飛行試験が始まった。その後改善を重ね、TARPSの量産が進められ、1981年に入ると運用部隊へのポッドの配備が始まった。一方で機体の改修も進められ、65機のF-14AがTARPS搭載能力を付与された。VF-154にはその一部が配備されており、NF102(161275)、NF103(161272)、NF104(161270)、NF105(161168)の4機がその改修機にあたる。




空母ジョージ・ワシントン上でグランドクルーにけん引されるTARPSポッド
出典: U.S. Navy Official Photo Archive(ID: DN-SD-01-06210/000814-N-0606M-003)

その後もTARPSのアップグレードは進められ、1996年にはカメラのデジタル化、そして1998年には取得データのリアルタイム伝送を可能とする、“TARPS Completely Digital”と呼ばれる形態へと進化している。このポッドには、KS-87前方傾斜カメラ、KA-99パノラミック・カメラ、AN/AAD-5A赤外線ラインスキャナ、そしてデータにイベントマークを付与するAN/ASQ-172 Data Display Systemなどが搭載されており、ポッドは機体下面後方のSta.5に搭載される。

次に対地攻撃能力であるが、実はグラマンの設計陣は、当初からF-14への対地攻撃能力について検討し、AWG-15 Air to Ground Systemを作り上げた。そしてこれを装備したF-14の量産前試作機に、AIM-54のパレットを介してMk82 500lb爆弾14発を搭載し、飛行試験を繰り返した。ところが試験が成功裏に終了したしもかかわらず、海軍は政策上の理由でF-14を艦隊防空戦闘機のミッションに専念させる決断を下した。

しかし、時間の経過は新たな問題を生み出すものである。艦載攻撃機であるA-7やA-6の退役が進み、特にA-6Eの機数減が、空母航空団の長距離侵攻対地攻撃能力を大幅に低下させることが明白になってきた。このため海軍は、再びF-14の対地攻撃能力に目を向けるようになる。こうしてF-14Aの”Bombcat”改修計画が再開され、1987年10月10日からVX-4のF-14A を改修したBombcatによる汎用爆弾の実弾投下試験がスタートした。ところが評価試験が進んでも部隊運用承認がずるずる遅れ、実戦部隊での使用承認は1992年7月までずれ込むこととなる。CVW-5のVF-21に配備されたBombcatは、こうして改修された第1世代のBombcatで、Mk.82 500lb爆弾、BSU-86高抵抗爆弾、Mk.83 1000lb爆弾、Mk.84 2000lb爆弾等の汎用爆弾の搭載能力を有している。こうした爆弾は、フェニックスミサイルの搭載パレットにアダプターのADU-703 と射出ラックとなるBRU-32(Single Ejector Rack)、あるいはBRU-42(Triple Ejector Rack)を介して搭載された。



F-14のBRU32にMk 82 Snakeye爆弾を搭載するグランドクルー
出典: U.S. Navy Official Photo Archive


話を元に戻す。インディペンデンスとCVW-5は、到着して約1ヶ月後の10月15日に、横須賀、厚木を離れ日本近海の太平洋上での約1ヶ月の洋上訓練を行った。さらに年末の12月にも2週間程度の短期間のクルーズを実施し、クリスマス休暇を迎えた。そして年が明けた1992年の3月、今度はフォリピンまで足を伸ばし、約1ヶ月のクルーズを実施している。またCVW-5の戦闘部隊は、こうした洋上での飛行訓練の他、海兵隊のF/A-18A等とのDACT(異機種戦闘訓練)等の戦闘訓練をこなした。さらにこうした訓練の合間に、日本の各航空基地でのイベントにも参加している。例年5月に行われる米海兵隊岩国基地のオープンハウスは、この年、湾岸戦争の影響でずれ込み、9月22日に開催された。改編早々のCVW-5からもVF-154とVF-21のF-14A、そしてVS-21のS-3Bとがこのイベントに参加し、とりわけ人気の高いトムキャットの展示エリアには大勢の航空ファンが押しかけ、フライト・クルーがサイン攻めに会う一幕もあった。また12月の初旬には航空自衛隊新田原基地の航空祭にも、VF-154とVF-21のF-14A、及びVFA-192とVFA-195のF/A-18Cが参加し、岩国基地と同様に大いに注目を浴びた。



視程の悪い中、訓練を終え厚木のR/W19に着陸するVF-154のF-14A(161168,NF105)
写真:筆者撮影(1992年2月29日)


そしてインド洋からアラビア湾岸への長期クルーズに出発する直前の4月11、12日、ホームベースである厚木基地でのオープンハウス”Air Wings ‘92”が開催され、関東エリアのCVW-5ファンには初めてのお披露目となった。この”Air Wings ‘92”ではCVW-5の航空機とともに、多数の外来機が地上展示され来場者を喜ばせた。CVW-5は展示飛行に力を入れ、F-14A、F/A-18C、A-6Eによる機動飛行、S-3BとEA-6Bによる空中給油飛行、SH-3Hによる救難展示飛行、と多彩な展示飛行が繰り返された。そして圧巻はHS-12を除くCVW-5全飛行隊の航空機9機による編隊飛行で、これまでにないダブル・ダイアモンド編隊に歓声が上がった。またF-14やF/A-18による機動飛行は、米国のフライト・ショーを思わせるダイナミックなもので、航空機ファンにはたまらない内容であったが、騒音も凄まじく、近隣住民からの苦情も相当なものであったと思われる。                               




HS-12を除くCVW-5の全固定翼機飛行隊によるダブル・ダイアモンド編隊
写真: 筆者撮影(1992年4月12日)

一方地上の展示機の大半は外来機であったが、中でも注目されたのが、韓国のキャンプ・ハンフリーズに展開する米陸軍第3軍事情報大隊(3MIB)のRC-12D(83-2413)とOV-1D(67-18929)、そして韓国の烏山基地から飛来した米空軍第9航空団第2分遣隊(9th WG Det.2)のU-2R(80-1068)であった。U-2Rは未だ機密度が高いのか、機体の周囲にはライフルをもった兵士が配されていた。またU-2は過去に厚木基地にて秘密裏に運用されていた記録があるが、一般に公開されたのは国内ではこれが初となった。                       



Air Wings ‘92に展示された501MIBのRC-12D
写真: 筆者撮影




韓国から飛来した501MIBのOV-1D
写真: 筆者撮影



韓国から飛来した501MIBのOV-1D
写真: 筆者撮影


さて、空母インディペンデンスとCVW-5がこれから向かう中東情勢であるが、多国籍軍に敗北を喫したイラクでは、フセイン政権への反対勢力である北部のクルド族と、南部のイスラム・シーア派の反政府活動が活発化し、イラク政府は航空攻撃による鎮圧に乗り出した。こうした力での制圧活動に対し、国連安保理は1991年4月5日付でイラクに対し、人道的見地からこうした弾圧の停止を求める決議をする。これに対応し、米国、イギリスそしてフランスの3国が北緯36度以北と北緯へ32度以南にイラク軍機の飛行禁止区域(NFZ: No Fly Zone)の設定を宣言した。                                      




イラクに設定された飛行禁止区域(NFZ)
出典: http://www.historyguy.com/no-fly_zone_war.


しかし、その後もイラクの南部への爆撃が止まず、このため米国は1992年8月27日に”Operation Southern Watch”を発令、サウジアラビアに送り込んだ米軍機や、湾岸海域に派遣された空母艦載機により、イラク軍機の南部NFZへの侵入監視・阻止の任にあたることになった。この作戦には、イギリス、フランスも参加し、イラク戦争の勃発する直前の2003年3月18日まで続くことになる。なお、南部NFZは1996年に33度以南へ拡大されており、湾岸戦争が終結したものの、イラク周辺はまだまだきな臭い状態が続いていたのである。

そして”Air Wings ‘92”のイベントを終えた3日後の1992年4月15日、空母インディペンデンス(CV-62)は、横須賀母港化後初めての長期クルーズに出発した。インディペンデンスの横須賀出港に続き、厚木からはCVW-5の艦載機群がフライオフし、太平洋上のインディペンデンスへと向かった。このクルーズはインド洋、アラビア湾岸方面で、上述した、イラク軍機の飛行禁止区域(NFZ)への侵入を監視・阻止するための作戦、”Operation Southern Watch”での任務を目的としたものであった。
(この章終わり)


      私のアルバムから (本章に関連する当時のCVW-5の機体)

1992年4月11、12日に開催された”Air Wings ‘92”での様子の一部を紹介




フライトラインに並んだVF-21のF-14A。手前の機体は飛行隊長機(161606/ NF201)




点示飛行のためランプアウトし、滑走路へと向かうVF-154のF-14A(161272/NF103)




展示飛行のため滑走路へとタキシングするVFA-195のF/A-18C(163708/NF410)。
前脚収納部付近にフォールス・キャノピーが描かれている。




展示飛行の予備機として、エンジンをふかしながら待機するVA-115のA-6E(155644/NF512)



VFA-192のF/A-18C(163764/NF307)の上に座り、展示飛行を楽しむグランドクルーたち。
このホーネットもしばらくして展示飛行に出発していった。




高速で会場上空フライパスするVF-154とVF-21のF-14Aの編隊




2機編隊で機動飛行を展示するVA -115のA-6E(NF515 & NF516)




展示飛行を終え、着陸後主翼をたたむVA-115のA-6E




主脚への安全ピンの挿入を終え、エプロンに戻るVFA-192のF/A-18C(163766/NF306)。




飛行展示を終え、主脚への安全ピンの挿入を終え、エプロンに向け動き出したVF-21のF-14A(160680/NF210)


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