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CARRIER AIR WING FIVE

CVW-5

Part19                                  Photo. U.S. NAVY

by Kiyoshi Iwama

Tip of the Sword” 、CVW-5のハンガーに描かれた彼らのスローガンである。空母を守る剣の先は、彼ら自身であり、「剣の先の如く鋭くあれ」と戒めている。またそれは遠く母国を離れ、太平洋の西岸に置かれた剣の先をも意味するように思われる。海外を拠点とする米海軍唯一の空母航空団としてCVW-5が厚木基地に本拠地を置いて、35年が過ぎた。その間、飛行隊の編成や使用する航空機も大きく変わり、その年月の長さを感じさせる。もう少しで在日40年を迎えるが、そのとき彼らは、その記念日を岩国基地で迎える。
我々飛行機ファンを大いに楽しませてくれたCVW-5であるが、厚木基地での活動も残り少なくなった。これを機会に、CVW-5のこれまでを振り返ってみたい。

これまでのあらすじ

資料記事
第18話 ミッドウェイからインディペンデンスへ
第17話 湾岸戦争とミッドウェイの退役
第16話 ホーネット時代の到来
第15話 Midway Magicとファントム時代の終焉
第14話 再び平和に
第13話(Rev.B) 日本へ 
第12話(Rev.C) ヴェトナム戦争(後編)
第11話(Rev.C) ヴェトナム戦争(中編-3)
第10話(Rev.C) ヴェトナム戦争(中編-2)
第9話 ヴェトナム戦争(中編-1)
第8話 ヴェトナム戦争(前編)
第7話 東西冷戦、朝鮮戦争後
第6話 朝鮮戦争(後編)
第5話 朝鮮戦争(中編)
第4話 朝鮮戦争(前編)
第3話 朝鮮戦争勃発
第2話 ジェット時代の夜明け
第1話 誕生

第19話 イラクを睨む

前話は、1992年4月15日、空母インディペンデンス(CV-62)とCVW-5のペルシャ湾への出発で終えたが、今話では、ほんの少し時計を戻して話を始める。
第二次大戦後の1947年、米国とフィリピンの間で交わされた基地協定の失効期限が1991年9月となっており、その期限延長を巡り米国政府とフィリピン政府間で協議が続けられていた。その最中の1991年6月9日、ピナツボ火山の大噴火が発生、米軍基地の被害も甚大で、クラーク空軍基地、スビック海軍基地の両二大基地が使用不能に陥った。その後8月27日、米比間の友好協力防衛条約が調印され、そこでクラーク空軍基地の返還、スビック海軍基地の10年間の使用延長が合意される。しかしフィリピン上院がこの批准を拒否し、話がこじれた。クラーク空軍基地は11月26日にフィリピンに返還され、スビック海軍基地については3年間かけ徐々に引き揚げるという米国案が提案されるが、結局これも合意に至らずフィリピン政府は1991年12月26日に、1992年12月31日までの全面返還を米国に通告した。これにより米海軍はスビック・ベイのみならず近接する航空基地NAS Cubi Pointも失うことになり、NAS Cubi Pointに駐留するVRC-50は8月31日付でグアム島のアンダーセン空軍基地へ移動、VC-5は解隊されることに決まった。




スビック・ベイ海軍基地の全景、左に見える飛行場がNAS Cubi Point(1990年1月1日の撮影)
出典: DoD Oficial Photo Archive (DN-ST-91-11630)

スビック・ベイは海軍艦船の修理施設や燃料・武器貯蔵施設などを有するアジアでも最大級の米海軍施設であり、ここを失うことは米海軍にとっては大きな痛手であった。このため、米海軍はその機材を日本やシンガポールに移設することに決定し、撤退作業を開始する。この撤退作業支援のため、空母インディペンデンスも出動することになった。1992年3月2日午前8時、インディペンデンスが随伴艦を伴い横須賀基地を出港、そして房総沖でCVW-5の艦載機を収容しフィリピンへと向かう。空母インディペンデンスはスビック・ベイには3月17日~21日の間停泊し、機材の運び込みなどが行われた。一方CVW-5は、36年間西太平洋で活動する米海軍飛行隊を支援してきたNAS Cubi Pointへの敬意を表するため展示飛行を企画、3月17日、CVW-5の飛行隊の他、VMFA-115、VC-5、そしてVRC-50が加わり、合計22機の航空機による展示飛行を約30分実施し、最後は18機の編隊飛行で締めくくった。

スビックに入港した最後の米空母となったインディペンデンスは、21日の出港時には飛行甲板に”FAREWELL SUBIC”の人文字を描き、長年米海軍を支援してきたスビック・ベイとの別れを惜しんだ。そして米軍撤退支援任務を終えた空母インディペンデンスは4月1日午後5時45分、横須賀に帰還した。スビック・ベイはこの年の8月30日、正式にフィリピンに返還されている。

3月31日に厚木へフライインしたCVW-5には、厚木基地のオープンハウス“Wings ‘92”のイベントが控えていた。4月11日、12日に開催されたこのイベントは、新たな編成のCVW-5初の公開とあって大勢の観客が厚木基地を訪れ、米国でのエアー・ショーを思わせる展示飛行を楽しんだ。そうしたお祭り気分に浮かれる間もなく、3日後の4月15日、空母インディペンデンス(CV-62)とCVW-5は、”Operation Southern Watch”参加のため、ペルシャ湾に向け長期クルーズへと出発する。このときのCVW-5の編成は表19-1に示すとおりである。

表19-1 1992年4月15日、西太平洋/インド洋/ペルシャ湾展開時のCVW-5の編成

このクルーズの途中、インディペンデンスはCVW-5を載せオーストラリアのシドニーに寄港し、珊瑚礁海戦50周年を記念するセレモニーに参加した。シドニー出港後、インド洋航行中に事故が発生する。VFA-192のF/A-18C(NF311/163741)がインディペンデンスの第4カタパルトからの射出途中にカタパルトから発火、そのため前脚のランチバーがシャトルから離脱し、離艦速度に達せず墜落する事故が発生した。パイロットのスティーブ・トンプソン大尉はエジェクションシートでコクピットからの脱出に成功するも空母の左舷に激突、右脚を骨折するが、幸いにも無事救助され一命を取り留めた。その後も訓練を続けながらペルシャ湾をめざす。そして6月にはVF-154,VF-21のF-14A各1機と、VFA-192とVFA-195のF/A-18C各1機からなる分遣隊がカタールのドーハを訪れ、カタール空軍機との異機種戦闘訓練(DACT)等を行い、カタールとの友好を深める一助をなした。

8月23日、インディペンデンス空母戦闘群はペルシャ湾入りする。ペルシャ湾ではイラク機の北緯32度以南への飛行を制限するための作戦、Operation Southern Watchに参加することになっていたが、正式な作戦命令はこの時点では未発令であった。しかしCVW-5では早速作戦機を発艦させ、VF-21の隊長機を含む4機のF-14が、VAW-115のE-2Cの管制を受け、イラク南部を飛行し、VF-21はOperation Southern Watchでイラクを飛行する米海軍における最初の飛行隊となる。

8月26日になって米国政府は、ブッシュ米大統領(President George H.W. Bush)が、「国連安保理の688号決議に基づき、米国とその同盟国は、24時間以内にイラク南部の警戒任務を開始し、イラク機が北緯32度以南に設定した飛行禁止区域(NFZ)に侵入する場合には撃墜する用意がある」とイラクに警告したことを発表した。そしてこれに続き、8月30日、空母インディペンデンスを発艦した戦闘機がイラク上空にて、「北緯32度以南に侵入する機体は、軍民問わず警告することなく撃墜する」と書かれたリーフレットを空中から散布している。その後もCVW-5機による警戒監視飛行が継続され、最初のOperation Southern Watchでの任務は18日間で終了した。この作戦でのCVW-5機の総飛行時間は4,500時間を越え、コンバット・ソーティーも1,359回に及んだ。そして任務を終えた空母インディペンデンスとCVW-5は、空母レンジャー(CV-61)の戦闘群と交代にペルシャ湾を離れ、帰路についた。途中、タイのパタヤ・ビーチと香港に寄港し、横須賀への帰港は1992年10月13日であった。CVW-5の艦載機群はそれより一足早く、10月11日の早朝に厚木へフライインしている。このとき、VFA-195の一部機体に垂直尾翼の鷲のマークが白頭鷲になっている機体が見られた。



1992年10月11日の早朝、厚木にフライインするVFA-195のF/A-18C(163791/NF403)
尾翼の白頭鷲のマークがカラーになっている。
写真:筆者撮影


またVAQ-136のEA-6Bのレドーム先端には漢字の「攻」に3本の電光の付いたマーキングが施されていた。米海軍では、空母に接近してくるA-6とEA-6Bの見分けがつきにくいことから、EA-6Bのレドーム正面に「+」等の識別マークを付けていたが、VAQ-136では、日本にホームベースを置く飛行隊をアピールするのか、「攻」の文字を用いたマーキングをクルーズ中に書き込んだようである。



1992年10月11日の朝、厚木基地へフライインするVAQ-136のEA-6B(161883)
レドームの先端の識別マークが漢字の「攻」と稲妻の組み合わせに変わっている
写真:筆者撮影


この年の暮れの12月27日、イラク空軍のMiG-25の編隊が北緯32度以南のNFZに進入したため、警戒飛行中の米空軍第363戦闘航空団第33戦術戦闘飛行隊のF-16DG(90-0778)がAIM-120ミサイルを発射し、その1機を撃墜、OperationSouthern Watchでの最初の撃墜を記録した。この撃墜はAIM-120による初の撃墜記録でもある。

Foxbat Killerとなった米空軍33TFS/363FWのF-16DGとクルー
出典: USAF


1993年の最初の任務は韓国沖で実施された米韓合同軍事演習“チーム・スピリット93”(Exercise Team Spirit ’93)への参加で、CVW-5は2月16日に横須賀を出発した空母インディペンデンスとともに、約1ヶ月の期間を日本海で過ごした。演習終了後インディペンデンスとともに釜山に寄港し、厚木には3月23日にフライインした。帰還して1ヶ月後の4月24,25日には厚木基地のオープンハウスWings ‘93が開催され、前年同様多くの観客が訪れた。CVW-5の飛行展示も前年年同様迫力のあるもので、観客を魅了したが、周囲住民からは多くの騒音苦情が寄せられることになった。


展示飛行に向け滑走路R/W19に向かうCVW-5機。
左上からVF-154のF-14A(162589/NF100)、VA-115のA-6E(162212/NF516)、
VAQ-136のEA-6B(163045/NF622)、VS-21のS-3B(159413/NF704)
写真:筆者撮影(1993年4月24日、厚木基地Wings ‘93にて)


その2週間後の5月11日、空母インディペンデンスとCVW-5は西太平洋へのクルーズに出発する。このときのCVW-5の編成を表19-2に示す。表からも分かるように、このクルーズから新しい仲間が加わっている。それらは、ES-3Aを装備する第5艦隊航空偵察飛行隊VQ-5 “Sea Shadows”の分遣隊とC-2Aを装備する第30艦隊兵站支援空母飛行隊VRC-50 “Foo Dogs”の分遣隊である。VQ-5は1991年4月15日にグアム島のNAS Aganaに新設されたばかりで、太平洋艦隊の空母にES-3A 2機からなる分遣隊を派遣している。ES-3Aは基本的にEP-3Aries IIと同じ電子機器を搭載しており、EA-3Bが引退した後に欠落した艦隊電子情報収集機の役割を果たすことになる。両機ともWings ‘93で地上展示されていたが、ES-3Aの方は、テイルレターがまだ「SS」のままであった。VRC-50は1966年10月1日付でNAS Atsugiに新設された部隊で、太平洋艦隊の空母に分遣隊を派遣し、COD任務についてきた。第7艦隊に対してはフィリピンのNAS Cubi Pointへの移動後も支援してきたが、前述のようにキュービー・ポイントの返還でグアム島に移動し、今回厚木に分遣隊を派遣してきたものである。


表19-2 1993年5月11日、西太平洋展開時のCVW-5の編成
                               





厚木基地のWings ‘93で地上展示されたVQ-5のES-3A(159403/SS720)とVRC-50のC-2A(162147/RG430)
写真: 筆者撮影(1993年4月24日)


  このクルーズの途中オーストラリア海軍との共同訓練“Spring Training ‘93”を行い、5月28日から6月2日までパースに寄港、その後6月30日にインディペンデンスとCVW-5は日本に戻っている。クルーズ帰還後の日本での訓練中にVF-21のF-14A(NF201/161606)が、4月29日、大島沖の訓練空域でACM中に墜落した。パイロットとRIOは脱出し、随伴艦に搭載されていたHSL-51のSH-60Bとインディペンデンスから発進したHS-12のSH-3Hにそれぞれ無事救助された。そして9月には日本海沿岸で実施された海上自衛隊との共同演習”ANNUALEX ‘93”に参加し、CVW-5は10月12日に厚木へフライインし、インディペンデンスは10月13日に横須賀に帰港している。                                    





飛行訓練から戻り、厚木のR/W19に着陸するCVW-5機。
VFA-192のF/A-18C(163705/NF300),この時期からと思われるが、主脚柱が黄色く塗られている。



次回の航海の後、解隊となるHS-12のSH-3H(148988/NF611)
写真: 筆者撮影(1993年11月3日、厚木基地)


 1ヶ月後の11月17日、空母インディペンデンスとCVW-5は2度目のOperation Southern Watchへ参加するため、4ヶ月間のペルシャ湾/ソマリア沖クルーズへと出発した。このときのCVW-5の編成を表19-3に示す。



表19-3 1993年11月17日、西太平洋、インド洋、ペルシャ湾、ソマリア沖展開時のCVW-5編成

ペルシャ湾に向かう途中、タイ、パキスタン、及びオマーンとの合同演習を行うとともに、CVW-5から派遣された分遣隊がバーレーン空軍のF-16やF-5とのDACT、及びACMの訓練を行った。インディペンデンス空母戦闘群のペルシャ湾入りは12月17日で、CVW-5の作戦機は早速Operation Southern Watch任務に就き、VAW-115のE-2Cはペルシャ湾到着からクリスマスまでの間、24時間体制でのNFZ空域の警戒監視飛行を完遂した。またVF-154のF-14AはTARPS偵察ポッドを搭載し、北緯32度以南におけるイラク軍動静の情報収集目的の写真偵察を行い、VA-115のA-6Eはイラク地上軍に対する攻撃、輸送妨害ミッションにあたっていた。さらにこのクルーズを最後に解隊されるHS-12は、連日6機のSH-3Hをインディペンデンス、ダーラン間の飛行に当て、人員、物資の輸送に活躍した。Operation Southern Watch支援活動を終えたインディペンデンス空母戦闘群はペルシャ湾を離れ、日本への帰路、シンガポール、タイのパタヤ・ビーチ、そして香港に寄港し、1994年3月17日に横須賀へ帰還している。また途中寄港したシンガポールでは、チャンギ国際空港で開催中の”Asian Aerospace ‘94”に、CVW-5のカラフルなマーキングのCAG機4機を派遣し、エアー・ショーに花を添えた。

CVW-5が厚木に戻ってきた1ヶ月後の4月23日、24日の両日、恒例のオープンハウス“Wings ‘94”が厚木基地で開催された。23日にはウォルター・モンデール駐日米大使が招かれる等、このイベントへの米海軍の力の入れようが垣間見えた。また米空軍、海兵隊や陸海空自衛隊の外来機も含め、60機近くの地上展示機がエプロン狭しと並べられるとともに、CVW-5機による編隊飛行なども加わり、観客を魅了した。さらにこのエアー・ショーでは、スタント機のワールドカップ、”Breitling Worldcup”での上位入賞者等による鮮やかなスタント飛行も披露され、これも観衆の注目を浴びた。 



Wings ‘94で展示されたCVW-5各飛行隊のCAG機。カラフルな塗装が戻ってきた。
最下段の2枚は、ダイアモンド編隊での飛行を見せるVF-154とVF-21のF-14AとVFA-192のF/A-18C
写真: 筆者撮影(1994年4月23日)




















 さらにその1ヵ月後の1994年5月28日、空母インディペンデンスはRIMPAC ‘94に参加するため、随伴艦を伴い横須賀を出港した。翌日房総沖でCVW-5機を降ろしハワイに向かった。しかし、何らかの事情で、途中航路を反転し、6月3日にCVW-5を載せて横須賀基地へ一時帰港する。一時寄港の理由は明らかにされなかったが、翌日再びハワイへと出港した。RIMPACは米国、日本、カナダ、オーストラリア、韓国等、環太平洋諸国の海軍が参加して実施される合同海上訓練で、1971年に米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドが参加して実施されたのが初回で、その後ほぼ2年ごとに開催され、参加国も少しずつ変化してきている。RIMPAC ’94では日、米、加、豪、韓の海軍が参加した。このRIMPAC中の6月16日、演習に参加するためハワイに到着した空母コンステレーション (CV-64)に搭載されていたHS-14の4機のSH-60F(RA610/611/612/613)が、インディペンデンスに飛来してきた。HS-14は10月にHS-12と交代する部隊で、ハワイで4機が移駐してきたもので、残りのSH-60FとHH-60Hは空軍のC-5BでNAS North Islandから直接厚木基地へと空輸されることになっていた。演習終了後の6月23日、カウワイ島の太平洋ミサイルレンジ施設(PMRF)での訓練を予定していたVS-21のS-3B 4機を残し、空母インディペンデンスは真珠湾を出港、7月5日にCVW-5を載せたまま横須賀に入港した。

CVW-5を載せたままの横須賀入港は、何らかの事情があっての対処と思われたが、案の定、7月14日に、北朝鮮はキム・イルソン主席が7月8日に心臓麻痺で死去したと発表した。さらに北朝鮮は金日成主席の死去によりジュネーブで7月25日に開催が計画されていた、南北朝鮮の首脳会議と、第3回の米朝直接対話を中止すると通告してきた。こうした北朝鮮の国内情勢の不安定化による核問題の悪化など、不測の事態への対処のため、第5空母戦闘群には即応待機命令が出されたのである。こうした命令を受け、インディペンデンスとCVW-5は、7月20日に横須賀を出港、その後西太平洋近海での訓練を行いつつ横須賀への出入港を繰り返し、72時間の即応警戒態勢を維持した。そして約2カ月近くを洋上で過ごした後、インディペンデンスはCVW-5の艦載機を厚木に向け発進させ、8月27日にようやく横須賀に帰還することができた。




西太平洋クルーズ時、サイパン島近海を編隊で飛行するVF-154のF-14A(1994年8月1日)
出典: U.S. Navy Official Photo Archive


 この頃、空母インディペンデンスが1998年度で退役し、その後継艦としてUSS Kitty Hawk(CV-63)が横須賀に配備されるとの情報が伝わってきた。

10月7日には、インディペンデンスに分遣隊を派遣していたVRC-50が解隊し、替って第7艦隊のCOD任務に就くことになったVRC-30 “Providers”が、その分遣隊VRC-30 Det.5を厚木に派遣してきた。VRC-30の起源は古く、1947年に創設された第5航空輸送飛行隊、VR-5に遡るが、その後再編を繰り返し、ハワイのNAS Barbers pointをホームベースとする第21艦隊戦術支援飛行隊、VR-21へと変身し、1966年10月1日、カリフォルニア州NAS Alamedaに配置されたVR-21のアラメダ分遣隊がVRC-30に再編されている。因みに解隊されたVRC-50は同じくVR-21の厚木分遣隊が再編されたものである。

そして12月には、VF-154とともにCVW-5の矛先を務めていたVF-21が1995年のクルーズ後に解散するとの情報が舞い込んだ。




厚木での慣熟訓練を行うVRC-30 Det.5のC-2A(162150/NF431)
写真: 筆者撮影(1995年1月5日).


1995年6月30日、空母インディペンデンスは艦齢36年を迎え、米海軍の現役艦の中で最古参の艦となり、“Don’t Tread on me”と書かれた艦首旗”First Navy Jack”を艦首に掲げることになった。この習慣は1977年に始まり、現在にまで至っている。 

”First Navy Jack”の授与式は7月1日に挙行され、退役する給兵艦USS Mauna Kea,(AE22)から引き継がれた。それから1ヵ月半後の1995年8月19日、空母インディペンデンスとCVW-5は、Operation Southern Watch支援任務でペルシャ湾に展開するUSSエイブラハム・リンカーン(CVN-72)と交代するため、インド洋から、ペルシャ湾への長期クルーズに出発した。3度目のOperation Southern Watchへの参加である。このときのCVW-5の編成を表19-4に示す。


First Navy Jack

インド洋航行中にHS-14に新しく配備されるHH-60H 2機が到着した。この2機はCG-53モービルベイが搭載してきたもので、インド洋で合流した際に引き渡されたものである。そして9月8日、ペルシャ湾に到着したインディペンデンスからは、CVW-5の各飛行隊がNFZの警戒監視任務に就き、戦闘機部隊は実弾を搭載し、北緯32度以南へのイラク機の侵入を防ぐためのCAP活動に入った。この空中警戒監視活動は24時間体制で、Operation Southern Watch支援任務を終える10月半ばまで切れ目なく実施された。そしてペルシャ湾を離れ、CVW-5が厚木へフライインしたのは11月6日で、インディペンデンスはその2日後の11月8日に横須賀へ帰還している。厚木にフライインする機体の中には、このクルーズ後に解隊されることになっているVF-21のF-14Aの姿もあった。その中には既にVF-21の文字が消された機体も散見され、解隊の現実を印象付けた。VF-21のF-14Aについては、4機が姉妹飛行隊のVF-154に移管され、5機が本国へトランスパックされることになっていた。


表19-4 1995年8月19日、西太平洋、インド洋、ペルシャ湾展開時のCVW-5編成


そして12月12日早朝、5機のVF-21のトムキャットは一斉にエンジンを始動、飛行隊長機(NF200/161616)を先頭に、次々と厚木のランウェイを離陸し、最初の給油地である硫黄島へと機首を向けた。トランスパックの後は、2機がカリフォルニア州NAS Miramarで、3機がヴァージニア州NAS Oceanaでフェリーフライトを終えている。そして1996年1月12日、厚木基地で解隊式が執り行われ、VF-21”Freelancers”の52年の歴史に幕が下ろされた。

CVW-5の話題ではないが、髑髏マークで人気のあったVF-84”Jolly Rogers”も、この年の10月1日にヴァ-ジニア州NAS Oceanaで解隊している。伝統ある髑髏マークとニックネームはF-14Bを装備するVF-103に引き継がれたが、伝統ある飛行隊も国防予算の削減には勝てなかった。F-14Aは機体の構造的疲労が進むとともに、システムの維持経費も増大する一方となり、海軍の予算削減の折から、機体のリタイアーに伴うトムキャット飛行隊の削減が進められていた。
                                 (この章終わり)      


      私のアルバムから (本章に関連する当時のCVW-5の機体)




1992年10月11日の早朝、厚木にフライインするVF-154のF-14A(161272/ NF103)




1992年10月11日、厚木にフライインし、RW19に着陸するVS-21のS-3B(160133/ NF705)




1993年1月30日、厚木に着陸するVRC-50 Det.のC-2A(162175/RG420)




1993年1月30日、訓練から戻りRW19に進入するVF-154のF-14A(162589/NF100)



1994年4月29日、訓練を終えて厚木に帰還したVAW-115のE-2C(163027)




1995年1月5日、厚木のRW19 に着陸するVQ-5 Det.のES-3A(159403/NF720)




1995年6月3日、Wings ‘95にブラックテイルで展示されたVF-154のCAG機(161621/NF100)。
胴体下のドロップタンクもブラック仕立てなり、”Black Knights”の文字も入った。




1995年6月3日、Wings ‘95に展示されたVF-21のF-14A(161616/NF200)。
ブラックテイルとなったCAG機であるが、これが最後の公開となった。




1995年6月3日、Wings ‘95に展示されたVFA-192のF/A-18C(163777/NF300)。
文字やインシグニアがブルーで描かれ、一段と派手さが増した。




1995年6月3日、Wings ‘95に展示されたVFA-195のF/A-18C(163758/NF400)。
派手なCAG機の中でも際立つ塗装で出現したVFA-195のCAG機。機首に白頭鷲が描かれている。



1995年6月3日、Wings ‘95に展示されたVA-115のA-6E(155704/NF500)。
ブラックテイルにオレンジのマークと文字、そして”NAVY”の文字がバイセンテニアルを
思い起こさせる、トリカラーとなっている。



1995年6月3日、Wings ‘95に展示されたVAQ-132のEA-6B(161883/NF620)。
機首側面にAGM-88にまたがるブラック・パンサーが描かれている。


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