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オーロラ・グラフィティ 
No.4:複葉機キット(2)

解説:R.P.K.

 1914年8月4日にドイツ軍のベルギー侵攻で始まった第一次世界大戦は、イギリスやフランスなどの連合国とドイツ、オーストリアなどの枢軸国側に各国が分かれて1918年11月11日のドイツ降伏署名まで続いた。次第に熾烈化する戦闘で航空機や戦車などの新兵器が飛躍的な進歩を遂げ、その威力も強力になっていった。主翼をワイヤーで捻って操縦していた単葉機は、プロペラ回転と同調して前方を射撃できる軽快な戦闘機に発展し、爆撃は飛行船から2トンの爆弾を搭載する大型爆撃機に移行した。
 
オーロラは1/48スケールで第一次大戦を中心に複葉機キットを発売していたが、1972年から正方形のパッケージとなりデカールが一新されて、ブリスターのチャチな地形ディスプレイ台が入るようになりました。またオーロラの複葉機キットがK&Bの名でパッケージやディスプレイ台もそのまま発売され、1976年にモノグラムが買収してキットはオーロラの社名のまま説明書を変更、2種のデカールが付きモールドを追加して一部を発売しています。しかし残念ながらパイロットのフィギュアだけ残して、それまで入っていた整備員や車止めベースなどのパーツが削除されてしまいました。



1) 1915年終わりから配備された複座のアルバトロスCIIIは、出力160hpのエンジンを搭載して各戦線で写真偵察や軽爆撃に活躍し、砲兵の着弾観測任務では無線機も搭載している。




2) 1972年版のCIIIは、オーロラ後期のキットで主翼下面のリブも表現されて弾薬箱を運ぶパイロットと機内から受け取る射手のフィギュアが付き、箱の大きさに合わせたブリスター地形の台も付く。




3) 終戦間近の1918年7月に実験配備されたフォッカーE.V(D.VIII)は、胴体とパラソル主翼が合板製の進歩的な機体だったが製造欠陥の事故で生産配備が遅れ、戦後はポーランドやオランダが使用した。キットはポーランドのマーキングで、2体のフィギュアが付いている。




4) 1917年8月から登場したファルツD.IIIは、合板の胴体と羽布張り翼の流麗な機体で被弾にも強かったが続々と開発される高性能の新型機に主役を譲った。第10中隊ヘクト曹長機のデカールが付き、K&Bブランドとなりブリスター地形が入った。




5)1917年5月からイギリス本土を空襲したゴータ爆撃機は50kg爆弾6発を搭載したが、7月から夜間爆撃に変更され迎撃戦闘機の被害が多くなり1918年5月には中止された。1917年8月から配備された発展型G.Vのキットは翼幅26cmと大きいが出来も良くフィギュア5体と地形台が付く。




6) ゴータG.Vはモノグラム版になって地上員2体がなくなり、上下2色塗り分けのマーキングが指定されてローゼンジパターンの型紙シートが入っている。




7) 1918年3月に初飛行したイギリスのデハビランドDH-10A双発爆撃機は、生産の遅れから終戦までに8機だけが間に合い戦後になって海外の部隊にも配備された。1976年版のキットは主翼下面のモールドはないが乗員3名のフィギュアと2種のデカールとなった。




8)1917年4月に西部戦線を席巻したアルバトロスD.IIIの胴体を改修した最終型D.Vのキットは、翼下面のモールドはないがマークの浮き彫りがなくなりデカール2種となっている。




9) フォッカーD.VIIも主翼下面のリブモールドはないがマークの浮き彫りが消され、2種のマーキングが選べてローゼンジパターンの型紙が付いた。



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