マルチ・ロール・ファイターとして進化を続けるF-16 “Fighting Falcon”が誕生したのは、もう40年も昔に遡ります。米空軍は当時の主力戦闘機F-4Eの後継機にF-15を選定したのですが、高性能であるが故に高価格のF-15だけでは必要機数の調達が難しいと考え、1972年1月に、F-15を補完する低コストの軽量戦闘機、LWF(Light
Weight Fighter)プログラムを立ち上げたのです。つまりHo-Lowミックスの運用構想です。各社の提案の中からLWF候補として、ジェネラル・ダイナミックス(GD)社のYF-16Aとノースロップ社のYF-17Aが競争試作することに決まり、両者が試作機を完成させました。そのデザインは、両機ともこれまでにないラディカルなものでした。特にYF-16は、胴体と主翼が一体となったブレンディッド・ウィング・ボディと呼ばれる、未来の戦闘機を思わせる軽量機体に、F-15と同じ高出力のP&W
F100エンジン1基を搭載し、高い推力重量比を実現するものでした。YF-16Aの初飛行は、GD社のテストパイロットPhil Oestricherの手により、1974年1月20日、カリフォルニア州エドワーズ空軍基地での高速タクシーテスト中に実現します。
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その後約2年間、YF-17とともに各種評価試験が行われ、1975年1月13日、米空軍はLWF競争試作の勝者としてF-16を選定したのです。その後FSD(Full Scale Development)機が製造されますが、FSD機では機首に火器管制レーダAN/APG-66を搭載するためレドームが少し大きくなり、また主翼への各種兵装搭載のため尾翼とベントラルフィンの面積が15%ほど増積されました。これで量産型のF-16Aの形態が決定され、量産が始まりました。量産初号機となるF-16Aは、1978年8月17日にGD社のテキサス州フォートワースで初飛行に成功します。一方、米空軍の同機採用を受け、欧州でもNATO諸国がF-104Gの後継機選びを開始し、1975年6月、ベルギー、オランダ、デンマーク、そしてノルウェーの各国が、GD社との間で348機のF-16Aを多国間生産することで合意したのです。この多国間生産では、最終組み立てをGD社のフォートワース工場で行うものの、F-16Aの機体各部位をそれぞれの国で分担製造しています。 |