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レベル・ファイターシリーズを追って (零戦)

by  コルディッツ

2月号の「私の選んだ名キット」でもレベル・ファイターシリーズの評価は高く、我が事の
ように嬉しかったですが、しかしファイターシリーズの中にも、あまり歓迎されないキットが
あると思います。私の場合は零戦とP51Dがその双璧です。
 作ったのは小学生低学年の頃ですが、子供ながら零戦は「らしくない」と思いました。
 P51の方は形状が違うと気付いたのは後年でしたが、ボックスアートの真っ赤なギラー
少佐機が気に入って数機作ったのに、実はオリーブドラブが真相と知ってがっかり、以後
両機とも製作しませんでした。
 さて現物となると両機とも人気者で、P51Dは今でも編隊飛行が見られますし、零戦も
国内の航空博物館で間に合うかと思います。ただし撮影とその公開は別の問題ですが。
 しかし海外にも興味深い零戦が幾つかありますので、ご紹介させていただきます。
 昭和17年2月に南雲艦隊はオーストラリア北部の軍港ポートダーウィンを空襲しました
が、この時空母飛龍航空隊の零戦二一型(BⅡー124)が被弾して近郊のメルヴィル島
に不時着しました。この零戦がダーウィン空港近くのオーストラリア航空歴史センターに
展示されています。連合国軍が最初に捕獲した零戦でしたが、写真のように損傷がひどく、
零戦の秘密を知るのには役に立たなかったようです。
 この零戦の操縦士豊島一三等飛行兵曹はオーストラリア軍捕虜第1号となりました。
 彼は最終的にカウラ捕虜収容所に収容されますが、その間南忠男兵曹長と偽名を用い、
英会話を習得して、捕虜のリーダーとしてオーストラリア軍との交渉役を果たしています。
 そして昭和19年8月のカウラ事件が起きます。豊島自身は脱走に反対だったようです
が、日本兵捕虜は投票によって「脱走決行」を決め、実際には警備陣への突撃を敢行
します。心ならずも豊島は脱走指導者の一人として、合図の突撃ラッパを鳴らし、その後
自決しています。事件後オーストラリアの捕虜施策は改善されました。そしてカウラ事件
は現在の日豪関係の土台になっていると思います。
 ニュージーランド北島のオークランド博物館には、ダーウィンとは反対の「幸運な」零戦
二二型が展示されています。その幸運は写真にある通りですが、アンザックとまとめて
呼ばれるオーストラリアとニュージーランドにとって、国家存亡の戦争は対日戦だったの
が、零戦の展示で分かるような気がします。そして両国が零戦をきちんと保存・展示して
くれているのが、嬉しかったです。
 ロンドンの戦争博物館にあるATAIUの調査した零戦の胴体は有名ですが、ドイツにも
同じATAIUの零戦の胴体が展示されています。フランクフルトから鉄道でマンハイム経由
1時間半位の所にあるシュパイアーにあるオートテック博物館で、飛行機・自動車・鉄道
などが大量にコレクションされています。なぜここに零戦があるのか、よく分かりませんが、
近くにBf109G4の現物があり、屋外には、これもなぜかあるのか分かりませんが、
F101ブードーが。(F101はヨーロッパに配置されたことはないと思うのですが…)
 展示の仕方も、英国風の博物館に慣れた目から見ると、一風変わっています。
 

 ダーウィン航空歴史センター 2002年2月撮影 背後はB52





 零戦二一型の増槽




 オークランド博物館 2005年8月撮影







 シュパイアー オートテック博物館 2008年12月撮影





 シュパイアー オートテック博物館館内 この展示方法は…



シュパイアー オートテック博物館館外 

M4工作戦車? Do24の胴体?
なぜドイツにF101が?


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