第二次世界大戦も後半に入り、ドイツの勝利に陰りが見えてくると、冬戦争からの継続戦として枢軸側に投じたフィンランドも、離脱を考え始めます。そうはさせじとフィンランド軍総帥のマンネルへイム元帥に、ヒトラーが提供したのはBf109GとⅢ号突撃砲でした。
すなわち1943年3月にBf109G2型16機供給されたのを手始めに、翌1944年からはBf109G6型も提供され、結果的に159機のBf109Gが「メルス」と呼ばれて、フィンランド
空軍機として活躍しています。
しかしヒトラーの願いも空しく、1944年9月にフィンランドは連合国側に降伏し、その後 は対独戦闘に参戦し、ドイツ軍の焦土戦術に莫大な損失を被ることになります。
大戦後は西側に片足を残しつつも、ソ連圏の一部のような発言をして、「フィンランド化」 と日本の政治家にまで揶揄されましたが、復興は早く、対ソ賠償も早期に終え、1952年にはオリンピックを開催しています。(イタリアは1960年、日本は1964年、ドイツは
1972年!)
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そしてBf109Gは1950年代まで現役を務めていましたが、その後はフィンランド人の 教育水準と技術力の高さを反映してか、退役後のメルスの保存と展示は最高の品質で
行われていて、嬉しい限りです。
現在フィンランドには3機のメルスが展示されています。フィンランド空軍の登録番号 MT-507(G6Y)はユバスクラ郊外ティッカコスキのフィンランド中央航空博物館に。残骸のMT-208(G2)はヘルシンキのバンター国際空港の近くにあるフィンランド航空博物館に。
そしてMT-452(G6)は、所属はバンターのようですが、四周ガラスの専属ケースに入って野外展示されているようですが、未見です。
今回は私がBf109製作で、分からずに困ったことのある場所を中心にご紹介したいと 思います。 |