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誌上個展

PZL P.23Bカラシュ (エレール 1/72)

by R.P.K.

 今月号のエレール特集に合わせて模型棚を発掘してフランス機などを見せようと考えていましたが、ストックキットのダンボールに阻まれて発掘が間に合わなかったので、エレール1/72ポーランド空軍のPZL P.11cに続きPZL P.23Bカラシュ軽爆撃機を作りました。エンジン推力軸を下げた高い操縦席や下面ゴンドラを持つ独特のスタイルは面白いですが、P.11cと比べてパーツの合いが良くないので調整に手間がかかります。 胴体下面の爆撃手観測窓や爆弾架、アンテナなどが省略されているので正確な資料を基に手を入れて全面凸モールドをスジ彫りし、内部や機銃などを作ります。2種のデカールはポーランド第55爆撃中隊のB型と、ルーマニア第73爆撃中隊のスラット付き大型水平尾翼のA型です。


 ポーランド空軍の旧式な複葉爆撃機に代わる軽爆撃機P.23は、PZL(国立航空機会社)のプラウス技師が開発して1934年4月初飛行に成功した。スパッツ付の固定脚ながら近代的な低翼単葉の全金属製機となり、胴体内に爆弾倉を持たず50kgと100kg爆弾の合計700kgを主翼下面に懸架し、武装は7.92mm機銃が固定式1挺と旋回式2挺、乗員はパイロットと爆撃・下面射手、後部銃手の3名となり出力670hpのペガサス2エンジン搭載のP.23Aカラシュ(鮒/フナ)は1936年に40機が生産された。 さらに出力720hpのペガサス8に換装したP.23Bが1938年にかけて210機生産され、危険な飛行特性のため高度3650mにおける最大速度は319km/hに制限されている。出力980hpのノームローンに換装したブルガリア向けのP.43も50機が作られたが、1939年9月1日のドイツ侵攻時に輸出用のP.43稼動6機と飛行学校などに保管されていた35機(稼動0)のP.23A、170機(稼動120)のP.23Bが配備されていた。ドイツ装甲車両を果敢に攻撃したが低速で貧弱な防弾の機体は損害も甚大で、降伏後に残っていた21機がルーマニアへ引き渡されてソ連との戦闘に使われた。


① ポーランド空軍のB型とルーマニア空軍の前縁スラット付きA型が作れるエレールのキットは、主翼と胴体、風防の合いが良くないので削り合わせやパテ埋めをしなければならない。



② ポーランド製の一応1/72キットだが全面凸モールドでスタンドと風防のクリアーパーツ、中身が蒸発した接着剤ボトルが付いている。プラモ創生期を思わせるとてつもないシロモノだ。



③ 機首左のベンチュリー管や両側にある排気管の位置を修正して、キットのデカールを使いポーランド第55爆撃中隊5番機(112-N )のP.23Bとした。



④ ポーランドの資料を参考に全面スジ彫りし直してギャップを修正、単調にならないように吹き重ねとスミ入れをしている。



⑤ 側面から見るとエンジンを下方に搭載して操縦席の視界を向上させた特異なスタイルが分かる。



⑥ P.23Bも主翼下面にコードナンバーが黒や白の文字で記入されているので、指定外の機体にするなら資料を調べてみよう。



⑦ 内部の構造材や機銃架に手を入れて爆撃手観測窓とゴンドラの丸窓を開け、7.92mm旋回機銃をイタレリのJu86から流用した。



⑧ カウリング下部をプラ板で作り直し、胴体下面の爆弾架を追加して主脚スパッツの着陸灯をなじませる。



⑨ 風防内側の枠や右側固定機銃の照準リング、胴体左の乗降用手掛け、通信用アンテナ柱を追加した。



⑩ ゴンドラ左右の丸窓を作りアンテナ柱を追加、尾そりの支柱を伸ばしランナーで作り直して尾灯をクリアー化する。





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