ポーランド空軍の旧式な複葉爆撃機に代わる軽爆撃機P.23は、PZL(国立航空機会社)のプラウス技師が開発して1934年4月初飛行に成功した。スパッツ付の固定脚ながら近代的な低翼単葉の全金属製機となり、胴体内に爆弾倉を持たず50kgと100kg爆弾の合計700kgを主翼下面に懸架し、武装は7.92mm機銃が固定式1挺と旋回式2挺、乗員はパイロットと爆撃・下面射手、後部銃手の3名となり出力670hpのペガサス2エンジン搭載のP.23Aカラシュ(鮒/フナ)は1936年に40機が生産された。 |
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さらに出力720hpのペガサス8に換装したP.23Bが1938年にかけて210機生産され、危険な飛行特性のため高度3650mにおける最大速度は319km/hに制限されている。出力980hpのノームローンに換装したブルガリア向けのP.43も50機が作られたが、1939年9月1日のドイツ侵攻時に輸出用のP.43稼動6機と飛行学校などに保管されていた35機(稼動0)のP.23A、170機(稼動120)のP.23Bが配備されていた。ドイツ装甲車両を果敢に攻撃したが低速で貧弱な防弾の機体は損害も甚大で、降伏後に残っていた21機がルーマニアへ引き渡されてソ連との戦闘に使われた。 |