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プラモデル製作記事

スターリングラードの白ゆり・リディヤのYak-1
Lidya’s Yakovlev Yak-1 (アキュレート 1/48)

by R.P.K.

 良く出来たキットを発売していたアキュレートですが、最近はレベルやアカデミーなど他のメーカーから再販されています。その中でも第二次大戦のソ連空軍においてドイツ空軍相手に奮戦し、多くのエースを輩出したヤコブレフの初期型Yak-1は「スターリングラードの白ユリ」として有名な12機を撃墜した女子トップエース、リディヤ・リトヴャク中尉の愛機が機番44のデカールが付き発売されていました。 実写がないので白ユリを描いた愛機ではないけど、果敢に戦ったリディヤ機を作ってみましよう。


 ソ連空軍の女子だけで編成された飛行隊は「魔女飛行隊」の著作で有名だが、1921年に線路工の娘としてモスクワで生まれたリディヤ・リトヴャクは1941年秋からソ連空軍のパイロットとなり、女子だけの第586飛行連隊から1942年9月に親衛第73戦闘機連隊へ転属。スターリングラード戦においてドイツのHe111爆撃機を初撃墜してから戦果を重ね、リリア(ロシア語のユリ)の愛称から機体に白いユリを描いた。 小柄なリディヤは空戦技能も高くドイツ空軍エース達と何度も対決、2回撃墜されるが生還して戦い続け12機の撃墜を記録した。1943年8月1日迎撃に出動、全弾を撃ち尽して8機のドイツ機に追われるのを僚機が目撃した後に未帰還となった。乗機の残骸は見つかったが遺体は発見されず、隊員達はリディヤ中尉の戦死を受け入れられないまま終戦まで夜の点呼でリディヤの名を呼んでいた。


 ソ連のヤコブレフが開発した木金混合構造の中高度用迎撃機I-26は、試作機が1940年1月の初飛行後に事故で墜落したが開発は続けられ、出力1050hp液冷エンジン搭載のYak-1が翌1941年10月から引き渡された。さらに胴体背部を廃止したYak-1Bが1943年から生産され、エンジンを強化して軽量化、最大速度が585km/hに向上したYak-1Mが作られて多くのYak-1も1Mに改造されている。 複座型Yak-17から改良されたYak-7が生産されて長距離重武装のYak-9に発展し、軽量型Yak-3はフランス人義勇部隊「ノルマンディー・ニーメン」も装備して多くのエースを輩出している。


① 小柄な女子パイロットのフィギュアはなかったが、給油車とベースに置いて1942年秋のスターリングラード方面前線飛行場の雰囲気を出してみた。


② ソ連空軍の標準塗装ダークグリーン(FS-34097)とブラック(FS-37038)2色迷彩に下面は明るいライトブルー(FS-35466)の親衛第73戦闘機連隊リディヤ機。


③ 主翼上面には脚出下げ時に出る指示棒があり、実機は赤白の縞模様に塗られている。


④ リディヤ中尉の乗機はまだ白ユリが描かれてないが、RSI-3無線機を搭載している。


⑤ 主翼内に燃料タンクがあって小窓から残量が確認できるようになっている。


⑥ 1941年10月からYak-1は主翼下面に6発のRS-82ロケット弾を搭載して地上攻撃もこなした。


⑦ 操縦席のモールドが良いのでエッチングのシートベルトを追加し、ラジエターと別々に胴体へ組み込んですき間ができないようにする。


⑧ 機首7.62mm機銃の銃身とオイルクーラー内部隔壁を追加し、主翼エルロンを固定してミサイルか増槽の搭載を選ぶ。



⑨ キャノピー後部と胴体の継ぎ目をけし、可動風防を調整して固定せずに開閉どちらも楽しめる。


⑩ 主脚にパイピングして自重変形したタイヤや脚カバーを良く調整して固定し、尾輪も主車輪に合わせて接地面を削った。 



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