戦後、ドイツの優れた航空技術が欧米とソ連に拡散しました。特に高速化にあたり大きな力を与えたのが、後退翼という新しいコンセプトでした。朝鮮戦争に突然出現したソ連の後退角ジェット戦闘機MiG-15は、西側を驚かせました。高速で飛行し、一撃離脱の戦法で米空軍の爆撃機を手玉にとり、米軍パイロットにとって大きな脅威となりました。空軍はこれに対し、ノースアメリカン社が開発した後退翼戦闘機F-86を戦線に投入し、これに対抗させます。 |
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一方海軍は、未だ後退角戦闘機を手にしておらず、1951年に入りノースアメリカンとグラマンの2社との間で高速後退翼戦闘機の開発契約を結びます。ノースアメリカン社が提案したのは、F-86の海軍型(後のFJ-2
ヒューリ)、グラマン社の提案はパンサーを後退翼化した機体でした。Design93と名付けられたこのグラマンのこのモデルは、F9F-5をベースに35°の後退翼を持つ機体にP&WのJ48-P-8Aエンジンを搭載したものでした。陸上機の艦載機化は意外と時間のかかるものです。 |