Home > ダットサンSR311 フェアレディ2000 (フジミ(旧日東) 1/24) 車プラモデル製作

誌上個展

ダットサンSR311 フェアレディ2000 (フジミ(旧日東) 1/24)
DATSUN SR311 (FUJIMI (NITTOU) 1/24)

by 田口博通 Hiromichi taguchi

  Vintage garageは創世記から1970年代までのビンテージレースカーとビンテージクラシックカーの連載コーナーです。クラシックな姿の中に優雅さと繊細さを内包した彼女達にしびれる方々も多いはず。 
 ビンテージ・ガレージは ビンテージカープラモデルの製作だけでなく、その独特の魅力を醸し出すビンテージカーが背景に持つエピソードにもスポットをあてています。 
どうぞあわせてお楽しみ下さい。

  2016年11月号から始まるビンテージ・ガレージ 第4シーズンは、国内外メーカーから発売されているビンテージレースカーを主に取り上げています。
 今月登場するのはフジミ(旧日東科学製)の 1/24  ダットサン SR311 フェアレディ2000です。
 1963年 鈴鹿サーキットで開催された 「第1回日本グランプリ」B2クラス優勝、1967年「第4回日本グランプリ」GTクラスにて1-2-3フィニッシュ、翌1968年の「第5回日本グランプリ」GTクラスでも、2年連続1-2-3フィニッシュと輝かしい戦績を残したオープンスポーツカーです。
 このキットは1980年に日東科学からリリースされた名キットで、日東の廃業後は金型を受け継いだフジミからパッケージを変えて発売されています。 36年後の現在も現役の長寿キットですが、それは元のキットがそれだけ素晴らしかったということの証明でしょう。
 このキットは外形のとらえ方が適確なだけでなく、エンジンルームも再現した、フルディスプレイモデルとなっており、なかなかに作りごたえがあります



フジミ箱絵 (現在発売版)
日東から発売されていた当時の箱絵


エンジンルームも再現されている。

ダットサン SR311 フェアレディ2000

実車について

  ニッサンの初代フェアレディは1960年代のオープンタイプのロードスターで、日東がモデル化したのは、SR311最後期型2000CC 「フェアレディ2000」 右ハンドルの国内モデルとなっている。
 ニッサンのスポーツカーの系譜には、
初代ダットサン・フェアレディから始まり、フェアレディZに続くラインと、1960年代にニッサンと合併したプリンス自動車のスカイライン系の2系統がある。 今回は、そのうちのダットサン・フェアレディのラインを最初から追ってみたい。

(写真)ニッサン ショールームの現存する SRL311 後期型 フェアレディ2000 (左ハンドルの輸出専用車)



 ニッサン初のロードスターモデルは、昭和27年(1952年)に登場したダットサン・スポーツ DC-3だった。直列4気筒 860ccのSVエンジンを搭載し、最高速度は80km/h。
 北米で成功を収めていたイギリスのMG-Tシリーズを開発目標としたものだったが、ハンドリングや動力性能では、より旧式のMG-J(1932-1934 847cc 最高速度105km/h)にも及ばなかったため、50台の少量生産にとどまった。

 下の写真のようにダットサン・スポーツ DC-3のスタイルはMG-TCにほぼ同じで、明らかに模をとったことが判る。
 このように、ダットサンのスポーツカーは その当時に北米でよく売れている車を開発目標にすることが多いため、スタイルもコピーしたような車が多くなる。 
このDC-3の後継がダットサン・スポーツ1000(S210型)である。
(写真) 「ダットサン・スポーツ DC-3」 引用wikipedeia
(写真) MG-TC1948 (1250cc,124km/h)


 ちなみにMG-TCのプラモデルはモノグラム1/24とミニクラフト(学研)1/16が売られていて、入手できる。 
ニッサンDC-3を作ってみたい方は、MG-TCのキットから改造するというアプローチも有りだろう。

(写真)プラモデル MG-TC(モノグラム 1/24)
(写真) MG-TC1948(ミニクラフト(旧学研製)1/16)


フェアレディのデザインはどこから来たのか 

 フェアレディの原型 「ダットサンスポーツ1000」 は1957年の自動車展示会で登場した。ボディはFRP製、OHV988 cc 34馬力で、発表では最高速度は115 km/h とされている。国内発売は2年後、1959年(昭和34年)だったが、わずか20台を生産したのみで、それも北米でのテスト販売に廻されたとされている。

 開発目標は、当時の北米のライトウエイトスポーツカーのベストセラーオースチンヒーレー100 だったようで、ボディスタイルも 美しいヒーレー100のボディラインをそのまま真似たものになっていた。ただヒーレー100に比べるとボンネットのデザインがなんともやぼったいのがご愛嬌ではある。
(写真)「ダットサンスポーツ1000」 引用wikipedeia

(写真)当時のライトウエイトスポーツカーの北米ベストセラーオースチンヒーレー100(Wm2014年12月号より)



 フェアレディの名前を冠したニッサンのロードスターが初めてデビューしたのは1960年で北米輸出専用の改良型SPL212型「 フェアレディ1200」であり、288台を生産している。
 この「フェアレディ1200」から生産性向上のため、ボディーはFRPでなく一般的なスチール製となった。左ハンドル、排気量1200cc、48馬力で、最高速度 132km/hと発表されている。 
 
 この「フェアレディ1200」も当時の北米のライトウエイトスポーツカーのベストセラーオースチンヒーレー100をそのまま真似たスタイルで、右の写真を比べて判るように、両車のスタイルの違いはフロントグリルに見られる程度である。ツートンカラーもほぼ同じだ。一見しただけでは、間違いそうである。
現代では 中国のコピー品の著作権侵害云々がよくニュースとなっているが、昭和の日本車の北米輸出も同じような状況だったようだ。
 
 当時の北米での「 フェアレディ1200」の評価は アジアの島国からオースチンヒーレー100の安くて性能が低いコピー車が来たということだったのではないかと想像できる。それで、288台という生産台数に終わったのではなかろうか。
 
 一方の本家ヒーレー100は3万台生産したベストセラーで、ルマン24にも出場した耐久性抜群の 最高速度105m.p.h(時速160km/h)を出せた本物の英国製スポーツカーである。
 当時の北米のスポーツカーレースは広いアメリカを自走してレース場まで行き、レース後、また自走して帰るというスタイルが一般的だった。熱い砂漠道もあれば 寒い山越え道もあった。当時の日本車の技術レベルでは外形は似せられても、広いアメリカを走るには耐久性は今二つだったようで、平らな公道をやっとこさ走る状態だったのである。アジアの島国から来たコピー車は安いとはいえ、北米でのダットサンの認知度は低かった。 
フェアレディ1200 (左ハンドル 当時のカタログより引用)


下はオースチン ヒーレー100 (レベル1/25箱絵1958年発売)
 欧米で爆発的人気があり、1953年から1959年に実に3万台生産したベストセラー。 100の由来は6気筒2639cc搭載し 最高速度105m.p.h(時速160km/h)を出せたことから。


 ところで、名前のフェアレディは車雑誌などで書かれているように、当時アメリカで流行っていたミュージカル「マイ・フェアレディ」(映画はオードリーヘップバーン主演)からそのまま拝借したもので、SPL212型は 「フェアレディ1200」という安直なモデル名だった。  しかし、この1000ccから始まったニッサンのロードスターが発展を続け、排気量を増しながら ついには1967年の SR311 2000CC 最高速度205km/hまで到達することになる。  


 翌1961年に排気量1500ccにアップし 直線的なラインをもつボディにモデルチェンジした「フェアレディ1500」(SP310 / SPL310型)が登場。
ここに至って、やっとヒーレー100のコピーデザインから脱している。
 直線的なラインになったのは、これも北米大ベストセラーになるMGBとMGミゼットが登場したので、その影響が大きかったと思われる。ボディライン、メッキサイドラインやヘッドライト部のデザインからはMGBのイメージが見てとれる。つまりフェアレディ1500以降は ヒーレー100からMG似のデザインに乗り換えたというわけだ。
 ちなみにオースチンヒーレーもMGも共に英国BMC(ブリティッシュモーターコーポレーション)の一ブランドであった。
 
 この「フェアレディ1500」は直列4気筒 1500CC  71馬力を搭載し、小径ホイール、低床フレームの採用で低重心化を図った。 左向きの後部座席が備わる3人乗りだったのが珍しい。

(写真)「フェアレディ1500」コクピット
「フェアレディ1500」(SP310型) 引用wikipedeia


(写真)MG・MGB  MGAの後継車として大ヒットし 1962年~1980年に実に52万台が販売された名車中の名車。直列4気筒OHV 1,789cc搭載でボディラインが洗練されていて美しい。世界中のレースに数多く出場して戦績を残している。


(写真) 安価なMGミゼット (オースチン・ヒーレー・スプライトMK.2の兄弟車種)


 1963年5月 完成したばかりの鈴鹿サーキットで開催された 「第1回日本グランプリ」国内スポーツカーB2クラス(1,300〜2,500cc)で、輸出仕様キャブレターを搭載し出力を80馬力にアップさせたフェアレディ1500(田原源一郎がドライブ)がクラス優勝を飾った。
 この活躍により、ダットサンフェアレディの名がやっと日本国内でも知られるようになったのである。

 1965年には排気量を1600cc、90馬力にアップした「フェアレディ1600」(国内仕様SP311型、北米仕様SPL311型)にモデルチェンジし、後部座席を廃止し、2座席となった。
 1966年11月の 「第2回富士ツーリスト・トロフィー・レース」GT-I〜Vクラスにて「フェアレディ1600」が総合6位、クラス優勝を飾っている。
(写真)クラス優勝した田原車

(NISSAN HERIRAGE COLLECTION より引用)


 さて、フェアレディの日本での世界観が当時のニッサンメーカーカタログから読み取れる。

 美女が登場、ヨット、セスナが背景に配され、贅沢な生活を享受するラグジュアリーカーといったイメージであった。
 1960年代当時の世相の言葉で解りやすく言うと、映画若大将にも登場するいわゆる「ナンパカー」のポジションだった訳である。
 田中 邦衛扮する金持ちボンボン青大将が「リオの若大将」(1968)で乗っていた車が真っ赤なフェアレディ2000だったのだが、オープンカーから「ヘイ!カノジョ!」とナンパする車といえば、頭に浮かぶだろうか。
 
 日本でマーケティングされたイメージは、決して、スピードドライビングを追い求めるライトウエイトスポーツカーというスパルタンな位置づけではなかった。
(写真) フェアレディ1500

(写真) フェアレディ1500

(写真) フェアレディ2000

(写真) フェアレディ1500




 1967年3月には「フェアレディ1600」に追加する形で排気量2000ccモデル「ダットサン・フェアレディ2000」(国内仕様SR311型、北米仕様SRL311型)が発売された。
 排気量2000cc、145馬力で最高速度205km/hと発表され、高性能車としても注目を浴びた。この車がロードスタータイプのフェアレディの最終モデルとなり、1970年に生産終了となった。

1967年5月の 「第4回日本グランプリ」GTクラスにてフェアレディ2000が1-2-3フィニッシュとなり、話題となった。また、翌1968年の「第5回日本グランプリ」GTクラスでも、2年連続1-2-3フィニッシュを果たした。


SR311「ダットサン・フェアレディ2000」 前期型

 1967年11月に安全面を改良したSR311後期型が発売される。
ウインドシールドスクリーンを高くし、日本車初のコラプシブルステアリングシャフトの採用、ダッシュパッドやヘッドレストの追加、シートベルトの3点化、ドアアウターハンドル、スイッチ、リアビューミラーなど突起物の形状の変更で北米の安全基準に準拠したのが後期型である。

 1969年10月の 「第6回日本グランプリ」GTクラスで「フェアレディ2000」が優勝を飾ったのが有終の美となった。
この年、後継車種「フェアレディZ」が発表されたのに伴い生産を終了し、1970年には全販売を完了している。14,450台であった。
 
 ダットサン・フェアレディは台数的にはMGBの3%の生産台数に過ぎないが、それでも60年代当時の日本車としては、健闘したと言ってよいだろう。

 この後期型モデルが 日東科学が製品化したSR311 「ダットサン・フェアレディ2000」である。

SR311 「ダットサン・フェアレディ2000」後期型


製作


 今回の製作に使用したのは、フジミ版ではなく、旧日東科学のバージョン替えモデルでハードトップが付加されたキット。ソフトトップ部品もついており、お買い得だった。

日東から発売されていた当時のハードトップの箱絵
部品




シャーシーの組み立てと塗装
 フロントサスペンションはタイヤホイルの組み付けにポリストッパーを使用している。指が入りづらく、ちょっと組み立てにくい。  シャーシーはエンジン下部、ミッションケース、リアサスペンションなども再現されていて素晴らしい出来だ。
艶有黒と、艶消し黒でアクセントをつけながら塗装してみた。



エンジンルーム
 少ない一体部品で、上から見た時に違和感がないようにうまくまとめられている。
 日東の組み立て説明書が親切で、、エンジンの配線の方法が図示されているので、エナメル線で付加してみた。
 ボンネットはボディと一体で成型されているので、カッターナイフで少しずつ丁寧に切り取る。
エンジンルーム


ボディの塗装
 今回は、メーカーカタログにある1960年代のフェアレディの世界観を表現してみたかったので、ピンクで塗装してみた。ソリッドのピンクではなく、ピンクの中にほんの少しシルバーを混ぜている。ピンクは実車にはないカラーである。  フロントウインドーのリムにはミラーフィニッシュを貼っている。
メッキサイドラインも同様だ。綺麗に貼れると光沢が映え、アクセントとなる。




シートとダッシュボード
 ボディがピンクなので、内装はおとなし目にまとめることとし、シートはグレー、ダッシュボードは艶消しブラックとしてみた。  シートベルトは付属の黒い紙を切り作るようになっている。バックル部品も付属している。親切なキットだったので、そのまま使っている。


完成

 仕上がりは非常にすっきりと見栄えがするモデルになった。実車写真と比較して気が付くのは車高が高いこと。フロント部が2mmくらい高いように感じられる。
修正できるかとシャーシーを見直してみたが、キットのシャーシー構造では修正は難しいので、そのままとなった。 
フェアレディ2000 非常に綺麗な車である。





フェアレディ その後

 ダットサン・フェアレディは1969年に、後継車種「フェアレディZ」が発表されたのに伴い生産を終了し、1970年には全販売を完了した。
 
 1969年から発売された後継の「ダットサン・フェアレディZ」(S30型)はそのスタイリングをがらっと一新した。 ロングノーズにファーストバックの2座席クーペモデルのスポーツカーとなったのだが、これは1960年代に大流行したジャガーEタイプの流れのスタイリングだった。
 ジャガーEタイプに比べ 非常に廉価だったことから、アメリカでは「ダッツン・ズィー」の愛称で親しまれ売上を伸ばした。

 その米国市場では「DATSUN」ブランドはメーカー名の「NISSAN」よりも何倍もの認知度があったにもかかわらず、1981年に当時の石原俊社長の一声で、「DATSUN」ブランドが廃止されることとなった。全くもったいないと言わざるをえない。
以後は「NISSAN フェアレディ」になっている。
 さて、今でもそのフェアレディのラインアップは脈々と続いていて、世界最長のシリーズになりつつある。
2000年に4代目で一度絶版車種となったが、2002年7月の5代目(Z33型)発売で復活した。
2008年末に復活後初めてのフルモデルチェンジを行い、6代目 Z34型となった。
 代を追うごとに、ノーズが短くなり、ポルシェのスタイリングに近づいてきているのが、残念と言えば残念である。
そして今年2017年には、7代目(Z35)新型フェアレディZへのモデルチェンジが噂されている。



 


 現在の車はただ走れれば良いというわけでなく、環境、省エネ、ゼロエミッション、操縦アシストなど 課せられる課題は多い。
動力一つとっても、ガソリンだけでなく、電動、ハイブリッド、水素電池と多岐に渡る。
 自動車メーカーがスポーツカーにはどのような新しい考え方を取り入れていくのか 気になる所である。
 スポーツドライビングとスピードのためには、省エネも環境負荷にも燃費にも目をつぶって犠牲にするのか それとも果敢に新しい技術にチャレンジしてクリアしていくのか。
 今では日本を代表するスポーツカー ニッサン新型Zには ニッサンらしいチャレンジを求めたいものだ。そして多くの人が楽しめる車になって欲しい。

ダットサン・フェアレディS30型 1970



(写真)ニッサン・フェアレディZ34 2008

(写真はwikipediaより引用)


ビンテージ・ガレージ バックナンバー
4th
シーズン
2016年12月号 第20回 スカラブ Mk.4(モノグラム 1/24) 
SCARAB Mk.4 (MONOGRAM 1/24)
2016年11月号 第19回 マクラーレンM8A 1968(タミヤ 1/18)
  Mclaren M8A (TAMIYA )
3rd
シーズン
2016年2月号 第18回 ポルシェ356Aスピードスター (トミー 1/32)
PORSCHE 356A SPEEDSTER(TOMY 1/32)
2016年1月号 第17回 ブガッティT55スーパースポーツ(バンダイ 1/20)  
Bugatti model 1932 type 55 Super Sport (Bandai 1/20)
2015年12月号 第16回 フェラーリ 250 テスタロッサ(ハセガワ 1/24)
Ferrari 250 Testa Rossa (Hasegawa 1/24)
2015年10月号 第15回 シトロエン DS19 (エブロ 1/24)
CITROEN DS19 (EBBRO 1/24)
 
2015年9月号 第14回 フォルクスワーゲン カルマン・ギア 1963年型 (GCIクレオス 1/24)
 Volkswagen Karmann Ghia 1963
2015年8月号 第13回 メルセデス ベンツ 300SL (タミヤ 1/24)
Mercedes Benz 300SL (Tamiya 1/24)

2nd
シーズン
2014年12月号 第12回 オースチン ヒーレー 100-6 (レベル1/25)
AUSTIN HEALEY 100-SIX (Revell 1/25)
2014年11月号 第11回 リンカーン・フューチュラ(レベル1/25) 
LINCOLN Futura (Revell 1/25)
2014年10月号 第10回 メルセデス・ベンツ540K(モノグラム1/24)
MERCEDES-BENZ540K (Monogram 1/24)
2014年9月号 第9回 デユーセンバーグ・モデルSJ(モノグラム1/24) 
DUESENBERG SJ (Monogram 1/24) 
2014年8月号 第8回 ド・ディオン・ブートン (1904年型)(ユニオン 1/16)
DE DION BOUTON 1904 (UNION 1/16 )
2014年7月号 第7回 アルファロメオ2300 トゥーリング(1932)(ブラーゴメタルキット 1/18)
ALFA ROMEO 2300 TOURING(Burago Metal Kit 1/18)
1st
シーズン
2014年1月号  第6回 ベンツ 300SLR (レベルモノグラム 1/24) 
2013年12月号 第5回 BENTLEY 4.5L BLOWER (エレール 1/24)
2013年11月号 第4回 ブガッティ 35B(モノグラム 1/24) 
2013年10月号 第3回 BRABHAM F-3 (エレール  1/24) 
2013年9月号  第2回 ROB WALKER Team Lotus 72C (エブロ 1/20)
2013年8月号  第1回 ホンダF1 RA272(タミヤ 1/20)


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