1941年、日本軍は米領ウェーク島を占領、飛行場の整備に米軍捕虜200名~300名を使役しようとしたところ、捕虜は10人程度の人出とブルドーザー1台で整備をやってのけたのが、日本とブルドーザーの初めての出会いと聞いていました。しかし史実は1940年に鉄道省が米国からブルドーザーを購入して信濃川発電所の工事で使っています。まあ基本的に兵器フェチの帝国軍人は、ウェーク島は文字通り「未知との遭遇」だったのでしょうが。
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捕獲されたブルドーザーは、小松製作所に研究材料として送られ、国産ブルドーザーの開発がスタートします。結果、大戦中に約150台のブルドーザーが「小松1型均土機」として生産されました。コマツテクノセンターにその1台が保存されていますが、残念ながら未見です。
そして現在、世界のブルドーザー生産は米国のキャタピラ社と日本の小松製作所で二分されています。となると普段は意識しませんが、世界的な規模で真の「日本の名車」を生産しているのは、小松製作所ではないでしょうか。
高度経済成長の時代に、工事現場のブルドーザーを見て育った世代なので、石川県小松市の小松駅前にある「こまつの杜」を拝観して、、野外展示中の歴史的なブルドーザー達に、ノスタルジーとシンパシーを感じました。
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