1937年12月にイタリア・マッキ社のマリオ・カストルディ技師が設計した出力840hp空冷エンジン搭載のマッキC.200サエッタ(電光)は素晴らしい運動性を発揮したが、1939年には性能的限界が予測されて新型戦闘機が必要となるもイタリアの脆弱な工業力では大出力を出す液冷エンジンの早急な開発と実用化は無理だった。そこで軍事同盟を結ぶドイツが生産する1100hpダイムラー・ベンツDB601A液冷エンジンを搭載し、C.200の胴体を再設計したC.202が作られて1940年8月に初飛行して予想以上の高性能を発揮、フォルゴーレ(電撃)として1941年から生産が開始される。最初の400機以降はアルファ・ロメオ社がライセンス生産する1175hpのRA1000RC-41-1エンジンを搭載、1941年7月から配備されて1943年9月に連合軍と休戦するまで約1300機が完成した。 |
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ようやく世界各国の第一線戦闘機に追いついたC.202だったが、各国の急速な新鋭機の登場によりさらなる高性能機の開発が望まれ、カストルディ技師は1475hpのDB605AエンジンをC.202へ搭載する改造に着手する。1942年4月に初飛行して性能向上したC.205Vベルトロ(グレーハウンド)が生産され、後にライセンス生産されたフィアットRA1050RC58エンジンを搭載し、主翼の7.7㎜機銃を20㎜機関砲に強化したセリエIIIや主翼を延長した高高度型C.205N-1も作られ、1943年初めから配備された。9月の休戦後、北イタリアに樹立されたドイツと協力するファシスト政権下で252機が生産されて連合軍爆撃機の迎撃に活躍し、P-51Dとも互角に戦い戦後は新生イタリア空軍の主力となりエジプトへ42機が売却され、総生産は約700機だった。 |