ポリカルポフPo-2は、1928年に初飛行した単発複葉の初歩練習機で、U-2が正式名称でした。1944年に病死した設計者のポリカルポフの栄誉を称え、Po-2に改名されたものです。1941年の独ソ戦開始までに13,000機余りが生産され、1952年までの総生産機数は33,000とも40,000とも言われています。
第二次世界大戦中は、戦時につきものの低い整備水準や過酷な自然環境の中でも運用可能な機体で、軽旅客機、連絡機、夜間襲撃機等の様々な任務 をこなす万能機として、ソ連空軍(当時は赤色空軍)を支えました。
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特に有名なのは、乗員を女性だけで編成された第588夜間爆撃機連隊機の活躍です。夜間ドイツ軍地上部隊の手前でエンジンをアイドリングにして消音しながら接近、ターゲットに浅く降下して爆弾を投下したら、対空砲が開く寸前にエンジンを再起動させ退避するという、危険な攻撃を執拗に繰り返したので、
ドイツ軍から「ナイト・ウィッチ」(夜の魔女)と仇名されました。
※ Po2の初飛行については、日本語文献では1927年としているものが多いようですが、ジャン=パティスト・サリ博物館の解説文とポーランド空軍博物館のガイドブックに従いました。
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