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(Photo) ベトナム航空戦ー兵どもが夢のあと
by コルディッツ
博物館実機写真
ベトナム戦争は、お茶の間に居ながらテレビを通じて見られた最初の戦争として知られています。ビデオ等の映像収録技術の向上のためですが、戦争参加機の映像資料も大量に出回ることになりました。よって博物館廻りをして実機に巡り合っても、ベトナム戦争のヒコーキはどこかで見た記憶のあるモノばかりと思い込み、感激が薄かったのは否めません。
ところが今回の特集に合わせて写真を見直したら、残骸となり又は捕獲され展示された「不運なヒコーキ」、戦場から生還し英雄として博物館に鎮座する「幸運なヒコーキ」、そしてあまり知られていない(と思う)「オーストラリア軍のヒコーキ」と出て参りました。彼女たちの多種多様な生き様を見ていると、冷淡な対応してきたことが、悔やまれてなりません。
「不運なヒコーキ」 リパブリックF-105
以下3機はポーランド空軍博物館(クラコウ)にて 2011年5月撮影
ベトナムではF-105は戦闘爆撃として運用され、主力のD/F型は総生産数
751機中385機が戦闘や作戦行動中に失われた不運な機体です。当該機は
より不運にも、北ベトナムからポーランドに渡って残骸として展示です。
「不運なヒコーキ」 セスナA-37B ドラゴンフライ 87916
南ベトナム空軍は世界第6位の空軍力を誇っていましたが、1975年敗北。
当機は捕獲されてポーランド空軍技術調査部に引き渡されました。
「不運なヒコーキ」 ノースロップF-5EタイガーⅡ 73-00852
当機も1975年の敗北後に捕獲されポーランド空軍に引き渡されました。
幸運なヒコーキ マクドネルF-4C (F-110A) ファントムⅡ 64-6776/AK
航空博物館(シアトル)にて 2009年10月撮影
当機は1966年に製造されて空軍に配属され、ミグ21を3機撃墜した機体
です。戦後は本国に帰還し、オレゴン州空軍に9年間勤め、米空軍博物館
から当館に貸与され展示されています。真に幸運な機体ではないかと。
オーストラリア軍のヒコーキ キャンベラB.20 A84-230
西オーストラリア航空博物館(ブルクリーク、パース郊外)にて 2007年2月撮影
ベトナム戦争には米国の同盟国も派兵しましたが、肝心の米国も含め、
戦闘部隊の士気が低かった事が災いしました。
しかしオーストラリア軍は例外的に高い士気を持ち続けたようです。
GAF(オーストラリア政府航空工場)は48機のキャンベラ爆撃機を製造。
S84-320号機はオーストラリア産の1機で、ベトナム戦争に1967年4月19日
から1971年2月26日まで従軍していました。館内のランカスター等にかまけ、
この1枚しか撮影していないのが悔やまれます…
ウェストランド・ウェセックスHAS.31B N7-202/812
ダーウィン航空博物館(ダーウィン郊外)にて 2002年2月撮影
オーストラリア海軍は27機のウェストランド・ウェセックスを配備し、このうち
空母シドニーに配属となったウェセックスは、オーストラリア軍の海上補給の
船団護衛として、対潜哨戒を行いました。写真のヘリがベトナム派遣された
かは、リサーチ不足で不明です。しかし上面白、下面ネービーブルーとは!
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