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誌上個展

<日本航空史>天馬は歩む

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

 「天馬」といってどんな飛行機か分る人は、そんなに若くないと思う。航空自衛隊がC-46コマンドにつけた愛称なのだが、私自身、「天馬」とよんだことはない。 『日本航空機ガイド Vol.2 航空自衛隊』(航空情報別冊、昭和48年)によれば、米軍から36機が供与され、その後に台湾空軍から部品取り用に購入した12機のうち10機を実用機にしたのだという。




 子供のころにジョンソン基地(航空自衛隊入間基地)のあたりではよく飛んでいたし、航空祭にいくと必ず並べて展示してあった。人気は低く、写真はいつでも撮れた。不人気はそんな過去の話だけでは終わらない、私が所属する模型サークルS.L.B.の展示会場である所沢航空発祥記念館の前の公園に今でも野外展示してあるのに、だれも見に行かない。公園で遊んでいる人も、何も思っていない。だが待てよ、だ。これってWW2の飛行機だ。 1942年に量産機が出来たというから、日本陸軍方式でいえば「2式輸送機」で、鐘馗や屠龍と同年代だ。ムスタングやサンダーボルト、コルセアだったら大喜びで、日本機ならばボロボロな残骸や再生機だって喜んで見に行くのに、目の前の立派な大戦機はまるで無視、ということ。そういえば、所沢航空発祥記念館に零戦が展示されたときも、同じWW2機・同じ世代のC-46は話題にもならなかった。ああ、輸送機だというだけで、この扱いだ。




 話を子供のころの航空祭に戻すと、YS-11はスマートに見えたが弱々しかった。大きくて堂々としているのは、こっちだった。機首を大きく上に向けている様はいかにも旧式だけれども、威圧的な迫力があった。太い胴体やモッチリしたカウリングは「デカい」と感じた。エンジンは2000馬力級ダブルワスプの双発、排気管も不細工にボコ~ンと出ていて、見た目が強力だ。私の家は米軍横田基地の離着陸ルートに近いから、グローブマスターやカーゴマスターのようなプロレラ式大型輸送機を子供のころに毎日のように見ていたけれども、それとは違う大きさ感だ。 飛行機好きの子供だった私はコマンドが第二次大戦当時の飛行機と知っており、「大戦中の輸送機なのに、こんなに大きいのを造っていたのか」「外板がツルッとしているじゃないか」「こんなにデカいエンジンだぞ」と思い、「これは技術の時代が違う」「日本が勝てるはずはない」と実感する飛行機だった。子供なりにカーチスっぽくないな、と思っていたが、製造はカーチスといってもカーチス・ライト社だそうで、そういえば後退角のある主翼や垂直尾翼の形は、いかにもこの会社らしいと、今になれば感じる。




 プラモデルは少々古いものでウィリアムズ(とかいうメーカーだったかな)のものがあったと思う。今ならプラッツの1/144だろう。子供のころのプラモデル全盛時代には、この飛行機のキットがあった記憶はない。まあ、あっても高くて買えなかっただろうし、興味もなかったけれども。  モノクロ写真はまとめて入手したなかにあったもの。元気であったころの写真だ。カラー写真は所沢航空記念公園に野外展示中の姿。よく見ると胴体にある貨物扉は底辺が地面と平行に開くようになっている。これで荷物入れを多少便利にしているのだ。
 C-46は天馬といっても華麗なペガサスでなくて、太い脚でポクポクと荷車を引く雑役用の馬だったのだ。ジミな大戦機、それが気高かった。



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