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誌上個展

<日本航空史>忘れられた翼 MU-300とFA―300

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

 『航空ファン』1978年11月号の「国内ニュース」には、興味深い2つの記事が載っている。「MU-300双発ビジネスジェット機の1号機は初飛行した。」「フジコマンダー700の1号機が売れた。」どちらも、忘れられた飛行機の名になってしまった。 前者はT-400として航空自衛隊が基本操縦練習機として導入されている飛行機が三菱の飛行機であった時の名前、後者はFA-300のことなのだが、こちらは飛行機マニアでもあやふやな人が多いだろう。実は、私もあやふやな一人。いや、存在さえも知らない人が多いのではないか。

FA-300写真



 『航空ファン』1978年11月号は、MU-300の初飛行をカラーで1ページに2カット、モノクロページに見開きで5枚を掲載している。そこには「三菱重工業が双発ターボプロップビジネス機MU-2の後継機として開発を進めていた、双発ジェットビジネス機MU-300の試作機が完成、・・・」として初飛行を伝えている。この記事、ちょっと不思議に思わないか。 軽いというのか、ほとんど初めて記事にしたような書き方になっている。だが、当時の私の記憶でも、その通りだったように思う。白い胴体に各翼端と垂直尾翼を赤く塗った姿は、唐突だった。前号は「三菱重工の双発ビジネスジェット機が初飛行する」という記事が載っているが、国産機の初飛行を伝える華やかさはどこにもない。

MU-300 ネクタイピン


 もう一つのFA-300の初飛行は、『航空ファン』1976年2月号が伝えている。写真はモノクロページの上3分に2に2枚のみ。本文はタテ3段組みの「国内ニュース」に11行あるだけ。「・・・同機は米国ロックウェル・インターナショナル社と富士重工の共同開発によって試作された双発軽飛行機で、試作中の6機のうちの1機が初飛行に成功した。・・・」。製造は富士重工が行っていたそうだ。それにしても、扱いが軽い。

 この2機種は、その後も航空雑誌に載ることは少なかったように思う。そしていつのまにか、MU-300は製造権が売り払われ、アメリカの飛行機になった。名前も失ったが、飛行機そのものは今も生きている。FA-300はどうか。49機造ったところで終わった。この飛行機は存在さえも覚えている人が少なくなったのではないか。

 ネクタイピンの飛行機がMU-300。昔の名前で出ている。FA-300の写真は、成田空港の近くにある航空科学博物館で屋外展示されている1号機。私はここで初めて実機を見たように思う。嬉しかった。


<蛇足>
 スイスで開発されたが途中放棄されたP-16戦闘機の主翼・主脚などをビジネスジェット機へ転用しSAAC-23の名で開発を始めた、といえばリア・ジェットだけれども、『航空ファン』1961年6月号「世界の新鋭機とロケット」の記事のなかの「新三菱が参加するSAAC23重役機」に、「基本設計は新三菱で行われ」とある。

MRJは突然出てきたのでなく、いろいろ、やっていたのですね。そういわれれば、リア・ジェットとMU-300、MRJって、機首周りが似ているかも…。



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