Home  > 2017年8月号 >プラモデル コラム ><日本航空史>コンドルは飛んできた

誌上個展

<日本航空史>コンドルは飛んできた

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

 私にとってFw200は「コンドル」という名の飛行機のことだ。理由は簡単で、古いレベルの1/72キットに書いてあったからだ。私が子供のころのレベル社は絶対的だったから、「コンドル」の名は信頼できる確実な情報・・・ゆえに疑いもしなかったのだが、『世界の傑作機 フォッケウルフFw200』(No.175、2016年)をみると、「コンドル」は日本に飛来したその機に固有の名前なのだそうだ。そう言われたって、私は子供のときに「Fw200」=「コンドル」となっちゃったので、このヒコーキはコンドルなのである。皆さんはどうですか?「コンドル」、そうでしょう!  ところで戦前の出版物『世界優秀飛行機総覧』(日暮時郎編、昭和17年)をみると、旅客機型は「フォッケ・ウルフFwコンドル旅客機」として紹介されている。日本に来たのはまぎれもなく「コンドル」機なのだが、掲載写真は旅客機型ならば「コンドル」機にかぎらず掲載している。
この時点ですでに固有機名の「コンドル」と機種呼称の混同を生じているが、課題はそれにとどまらない。この本は古いレベルのキットのような軍用型は「コンドル」として紹介しておらず、「クリール4発重爆撃機」としている。ウ~~ン・・・。


 さて、その来日は昭和13(1938)年11月30日に立川に到着、離日は12月6日。乗ってきた人たちが、何を持ってきたのか、滞在中に何をしたのか、何を持って帰ったのか、私は調べていない。

 掲載した飛行中のコンドルを描いた絵葉書は背景がアルプスのようだから、事前に入手した何かの絵を使って刷ったものだろう。側面の帯が尾部に延びており、そこにあるはずの民間コードがない。切手の人物は日露戦争203高地の激戦で高名な乃木希典で、一般的に使われた通常切手。それにかけて押された記念印にはコンドルの姿と「独逸機訪日親善飛行記念」の文字が描かれており、日付はコンドルが帰国のために飛び立った日になっている。

絵葉書



 写真は、機体の輪郭もハッキリしないし、撮影時期、場所も不明だが、確実に「コンドル」機である。紙質からみて量産された印刷写真であるし国内の古書店で入手したものだから、飛来時に国内で撮られた可能性が高いだろう。
 コンドルが飛んできたことは、当時には充分に話題性のある出来事だったのだろう。




  Home >2017年8月号 >プラモデル コラム ><日本航空史>コンドルは飛んできた

Vol.108 2017 August.   www.webmodelers.com /Office webmodelers all right reserved / editor Hiromichi Taguchi
                  田口博通 / 無断転載を禁ず/  リンクフリー
「webモデラーズ について」 「広告のご出稿について」

プラモデル模型製作記事


TOTAL PAGE