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誌上個展

<日本航空史>青い空へ 夢を乗せて

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

 パンナムは、カッコいいアメリカそのものだった。垂直尾翼に地球儀のような青い円を描いた機体は、圧倒的にスマートに見えた。国際線の覇者はパンナムだった。少なくとも、私はそう思っていた。
 “パンナ~ム 青いそ~らへ~ パンナ~ム 夢を乗せて~” ボーイング747導入時期から推定して、おそらく1970年代のごく初期だったのだろうが、私の住む関東でこの曲とともにテレビCMが流れていた。
何のCMであったのかは覚えていないが、パンナムそのもののCMかもしれない。他にもあった。“ソ~ネット オン パ~ンナム セーブン・フォー・セブ~ン”という「紅茶にソネット」のCMだ。747が右へバンクして下面をみせて飛ぶ画像だったと思う。カタカナで読みにくくて申し訳ないが、記憶にある曲の感じを再現するにはカタカナ表記しかない。


 主催:小学館、協賛:パン・アメリカン航空、レベル日本総代理店郡是産業(株)物資部、航空ファンで、「小学館プラ旅客機コンテスト」が開催されたことがある。初出は確かめていないが、『航空ファン』1968年7月号にその広告が出ている。その翌月の『航空ファン』はパンナム提供写真を使った707が表紙だった。特賞の賞品は、約1週間のアメリカ旅行。ボーイング社、ディズニーランド、レベル本社の見学が組まれていた。
今見たって豪華な内容だから、50年前の子供の私には想像もできない賞品だった。パンナムはケタ違い、そう思った。申し訳ないが、主催の小学館は印象にない。
 私は普通100円のプラモデルしか買っていなかったから、大きな旅客機プラモは高嶺の花。そもそも当時の組み立てと筆塗り技術で旅客機の滑らか感は到底ムリ、夢のまた夢のコンテストだった。もちろん、応募など考えなかった。今、この記事を書くくらいだから、よほど残念で強い印象だったのだろう。


 そのときのプラモはどんな時代だったのか、あらためて『航空ファン』1968年7月号に掲載された飛行機プラモデルの新製品を広告や記事から紹介したい。ハセガワ1/72「グラマンA-6Aイントルーダー」、同「ノースアメリカンOV-10Aブロンコ」、ハセガワ・フロッグから「サウザンクロス」「ブラックウイドー」「ヴァイミー」、 レベル1/48「B-25Bミッチェル」、フジミ1/50「A-4Eスカイホーク」。その多さに驚いてしまう。ちなみに「ヴァイミー」は、翌8月号では「ビィミー」になっている。


 写真は3枚。
 「小学館プラ旅客機コンテスト」ころの機材であるB707と共に手前に写っている機体は、BOACのコメットだろう。




 カラーと白黒各1枚あるB747は、長距離用短胴型のSP。垂直尾翼が高く見えるので、一層、短い胴体が強調される。翼がほぼ同じで胴体が短く軽くなったから、性能が良くなったらしい。 標準型の4分の3くらいの座席数だそうで、長距離路線客数に適したサイズでもあったらしい。いかにも世界の空港を繋いだパンナムらしい機種だといえる。



この機種はパンナムがボーイングへ要請して開発されたものらしが、全体としてはそんなに売れなかったらしい。 カラーの方には、L-1011、DC-10、奥に標準型のB747が写っていて、ワイドボディー機勢ぞろい。




 世界の空を席巻していたかのようなパンナムも、業界の競争と再編のなかでやがて消えた。あれほど世界の空を席巻したジャンボジェットもだいぶ機数を減らしているようだが、横田基地への離着陸ルートはまだときどき飛ぶ。貨物型かもしれないが。


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