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誌上個展

<日本航空史>“まさか、来るとは思わなかった”

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

 このセリフは、べレンコ中尉が乗ったMig‐25が函館空港に着陸した直後、テレビでみた航空自衛隊でそれなりの地位にありそうな方が言った言葉だ。1976年9月6日のことだったそうだから、40年前のことになるけれども、確かにそんな言葉だったと思う。「そんなこと、言っていいの?」とホントに思った。


 でも、まさか来るとは思わなかったのは、私も同じだった。テレビ画面に映った青い2枚の垂直尾翼は、本当にMig‐25だった。冷戦下だったから、このソ連機が見られるとは、私は思ってもいなかった。信じられない映像だった。当時の雑誌にあった図面よりも、ずっとスリムに見えた。垂直尾翼は大きかった。空中から平面形を捉えた写真も、新聞だったと思うが、掲載された。
 まもなくシートが被せられて機体は隠されたが、それでも猛烈な、猛烈な、飛行機に見えた。




 航空雑誌の図面は、まもなく側面形が整えられた。なぜか、平面形はあまり修正されなかったように記憶する。私の印象では図面に比べて、実機は主翼平面形の翼幅がもうすこしありそうで、後退角ももう少し強いように思えた。
 ハセガワがMig‐25を緊急発売したのは、飛来から何か月か経ったころだと思うが、私はすぐに買って作った。
 こっちも若くて未熟だったから、胴体を組み上げるのにパテをだいぶ使った。
操縦席あたりの胴体のシボリが足りない??
背中が膨らみすぎ?
なんとなく胴体が太い?
主翼の平面形が・・・これは9ミリくらい延長してみた。そうなると前縁後退角が弱いのか主翼面積が広すぎ ??
 そして、Mig‐25は完成した。随所に資料不足であることが分るキットではあったが、充分に満足した。



 このキットに続いて発売されたのは、マンネン1/100だっただろうか。作ったことはないが、パーツで見るかぎりハセガワと同じ外観だったように思う。
そのときの緊張を感じる資料として、私は次の3点を挙げたい。

・『ミグ-25とミグ-23写真集』(航空ファン臨時増刊、1977年8月)
・『ドキュメント ミグ25事件』(原田 暻、航空新聞社、昭和53年)
・『ミグ-25ソ連脱出』(ジョン・バロン著、パシフィカ、1980年)

 ソ連が崩壊し、Mig‐25の情報は一気に増えた。そして、おそらくソ連崩壊後に東欧で発売されたキットはずっと良い形になっているのだと思うが、作っていないのでわからない。一般的な模型では、正確であることが望ましいことは言うまでもない。




 では、いまの時点で冷戦崩壊以前のMig‐25キットの価値は何か、となる。私はそれを販売し続ける意味があると思う。そのキットでないと、当時の函館の緊迫感を追体験できない、そのキットだからこそ分る「時代感」があるからだ。私はプラモデルを作るとき、それで楽しさを味わうために作っている。それが正確さだとか、精密さだとは限らないのだ。
 写真は、ごく最近にネットオークションで入手したもの。あの時の強烈な記憶が蘇る。40年前のことを思えば、“まさか、写真を入手できるとは思わなかった”。



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