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誌上個展

<日本航空史>キャメル設計者の来日と茶色の機体

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

 以前に投稿した飛燕の記事を書いていたときに気になっていたお雇い外国人技師が、ほかにもいる。三菱で働いたハーバート・スミス氏だ。有名なソッピース・キャメルの設計者である。WW1が終わって仕事がなくなったのは敗戦国ドイツだけではなかったのだろう。
 三菱は氏以外にも数人の外国人技師を招聘しており、『日本航空機総集 三菱篇-改定版-』(出版協同社)によれば、「大正10年2月、英国の元ソッピース会社技師スミス氏以下9名の設計、工作、操縦の専門技術者の一団を招き、海軍の註文による機体をつぎつぎに設計試作した」そうで、要するに、航空技術を人で輸出したということだ。
同書収載の本庄季郎氏に言わせれば「多少の日本人の考案はあったにせよ、根本は全て海外技術導入時代で、日本人独自の技術的開発はなかった」のだそうだ。
この時期の三菱機である十式艦戦、十式艦偵、十式艦雷等は、いずれもハーバート・スミス氏の設計で、その当時の彩色絵葉書を載せてそれらを紹介したい。

十式艦戦



 光人社NF文庫には、佐貫亦男氏の「ヒコーキの心」シリーズ3巻と「飛べヒコーキ」シリーズ3巻があって、この中の「続・飛べヒコーキ」に、三菱一三式艦上攻撃機が載っている。「続・飛べヒコーキ」の記事には一三式艦攻の色についての記述があって、「・・・私はあの濃緑の羽布塗装が大好きであった」「一三艦攻にはアルミニウム塗料の銀色塗装もあったが、どうも濃緑の機体がいつまでもイメージにある」とある。佐貫氏はこの時代のヒコーキをその眼でみている人だ。

 あらためて掲載の彩色絵葉書を見てもらいたい。もともと天然色でなくて彩色であるし、刷ってから100年も経過しているし、Webモデラーズ掲載にあたりスキャンしたりそれを画像で掲載したりするので細かい議論はできないが、どう見ても茶色系に見える。同時期の機体の色として掲載したものに濃淡の差はあるが、どれも茶色系に見える。足元の草は明るい緑になっているから、退色などではなく、最初から茶色系だろうとしか思えない。『航空ファン』1974年7月号の投稿欄「超音クラブ」に「十式艦雷のキット」という記事があり、そこに「当時の絵葉書では「茶色」に着色されていて、その色はかなり近い色なのだそうです。茶色といってもオリーブドラブ系に近い茶色のようですが「暗緑色」では絶対にないのだそうです」とある。

十式艦偵


 やや飛躍するが、茶色のような濃緑色といえば、後に疾風や隼3型に塗られた色に近い色なのかもしれない。『航空ファン』1986年7月号に長谷川一郎氏が石川賢二氏の談話として疾風について次のような記事を寄せている。「機体はそばで見ると茶色の強い緑色で、ちょうどカーキ色に見えた。しかし、飛行中の本機を見ると、光線の具合で明るい緑色にも見える」のだという。
 幸いなこと(?)に、この時代のヒコーキのプラモデルはほとんどないから、色について悩まずに済む。悩む人はお宝キットのマルサン十式艦雷を作る人くらいかと思うので、いないに等しいだろう。

十式艦雷



(蛇足)
 佐貫氏はスミス氏の一三式艦攻について、「主翼中央に穴を開けて操縦者の出入り口にしたりした設計は・・・主翼に穴をあけると、・・・翼幅方向にかなり遠くまで揚力分布を崩すから不可である」と書いている。
絵葉書はまさにその穴から人が身をのりだしている。そしてこのシーンの続きのように見える写真が、上掲『日本航空機総集 三菱篇-改定版-』のp.100に載っている。今回の絵葉書を見ていなければ、掲載の写真は「濃緑色の機体」だと思うだろう。

一三式艦攻



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