F-100スーパーセイバー(前回掲載)に始まるセンチュリーシリーズのひとつであり、米国初のマッハ2クラスの超音速ジェット戦闘機です。
初飛行は1954年2月、運用開始は1958年です。
ミサイルに小さな翼を付けたような未来的なスタイルで、抜群の高速と上昇力を誇ったことから「最後の有人機戦闘機」とも呼ばれましたが、あまりに高度な操縦・整備技術を必要とする上、旋回性能、航続距離、着陸性能など実用戦闘機としての要件を十分に満たしていなかったことや、高コストなどの理由から決して「成功」とは言えませんでした。 |
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ベトナム戦争にも投入されましたが、これといった戦果はないまま1971年には退役し、米空軍での運用は13年という短命に終わりました。
しかし、ドイツ、イタリア、カナダ、日本など同盟国への輸出やライセンス生産も含めて約2600機が生産され、一部の国では今世紀迄現役で運用されました。
また、その操縦性の特徴からX-15の練習機やフォローアップ機としても使用されました。
我が国の航空自衛隊でも「栄光」の名で104Jが運用され、私の世代にとっては、子供の頃に羨望の眼差しで観た、憧れの戦闘機でした。 |