1969年はロータス63を投入する計画だったが失敗作だったため、49Bを継続使用した。技術競争の末に出現したリヤの大型ウイングを、各F1チームとも使うようになったのだが、細い支柱の上に大型ウイングが装着される構造は誰の目にも安全性に危惧があり、そのうちに事故が起きるのではと懸念されていた。
果たして、遂に、第2戦スペインGPでロータス49Bのグラハム・ヒルとヨッヘン・リントの2台ともウィングの支柱が折れてクラッシュする重大事故が発生する。そして、FIAは次戦モナコGPからハイマウントウィングを使用禁止としたのである。
以後、ロータスはロータイプのリヤウイングに変更する。このロータイプのリヤウイングはエブロの49Bキットには部品とデカールが入っており、作り分けることが可能だ。
ロータスのドライバー グラハム・ヒルとヨッヘン・リントにもこの1969年は明暗の年となってしまう。
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グラハムヒルは第3戦モナコGPで5勝目を挙げたが,これは最終的に自身最後の優勝となった。彼は不孝にも第10戦アメリカGPで脚を骨折する重傷を負い、結局ロータスチームを去ることになってしまったのである。
もう1台の ヨッヘン・リントはアメリカGPで優勝を飾り、以後スターダムにのし上がっていくのだ。
さて、マシンの行方であるが、ロータス49は 翌1970年にファイアストンタイヤのワイドトレッド化に対応して49Cとなる。この49Cは次期ロータス72のサスペンション問題が解決し実戦投入されるまで使用された。
才能を開花させたヨッヘン・リントはモナコGPでジャック・ブラバムを最終ラップで逆転し、49シリーズ最後の12勝目を獲得している。
ジムクラーク、グラハムヒル、ヨッヘンリントと幾多の名ドライバーを乗せた名車ロータス49は次世代へとバトンタッチし、静かにF1レースから引退し、現在は博物館にその姿を休めているのである。 |