フランスでは1936年に航空機産業の国営化を進めてファルマン社とアンリオ社を合併させてSNCAC(中央国営航空機製造所)となりました。
合併前ファルマン社は1936年(昭和11年)F220四発重爆撃機を初飛行させました。四発と言ってもエンジンを串型に並べて支柱だらけの醜い爆撃機でした。エンジンを換装して主車輪を引き込み式にしたF222、さらに機首の段差をなくしたF222・2と進化してナチスドイツの西方電撃戦の際にはドイツの工場を爆撃するなどそれなりの活躍をしています。武装を強化したF223・3の後にエールフランスから発注のあった高速長距離郵便機のF223・4が3機作られました。F223・4は主翼やエンジンなどが改良され機首もさらにスマートになり洗練されたスタイルになりました。この3機にはカミール・フラマリオン、ジュールヴェルヌ、ル・ヴェリエールと言う名前がついています。
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フランス海軍では長距離偵察爆撃機として使用して1号機のカミール・フラマリオン号はドイツ海軍のポケット戦艦グラーフ・シュペー掃討戦に用いられるなど活躍しました。
ドイツ空軍が1940年6月3日にパリを襲い多くの死傷者を出した報復に4日後の6月7日F223・4のジュール・ヴェルヌ号でベルリンを爆撃しました。冒険小説家の名を冠した爆撃機はボルドーのメリニヤック基地を飛び立ちドーバー海峡を通りドイツに占領されていたデンマークを横切りベルリンに向かいます。8個の75kg爆弾と80の焼夷弾を投下してドイツ上空を通過してフランスに帰還しました。往復5000km、13時間40分の文字通りの大冒険でした。
その後もイタリアのベニスを爆撃したりリーフレットの投下をしたりと停戦までに17の任務を行いました。
フランスがドイツと停戦したのは6月22日のことでした。3機のF223・4はビシー政府の元でエールフランスに返還され輸送機として使用されました。 |