日本の第1次南極観測隊は、1956年(昭和31年)11月に初代観測船「宗谷」で東京港を出港。翌1957年(昭和32年)1月に南極のオングル島に上陸し、昭和基地を建設しました。そして2月に第1次越冬隊員を残して帰国します。
このとき「宗谷」から昭和基地への物資輸送にあたったのが、小型雪上車KC20型「ぎんれい」でした。同車は池貝自動車製造が警察の依頼を受け、 アメリカのM29ウィーゼルを参考に開発を始めた案件で、池貝が小松製作所に吸収された時に、開発事業ごと引き継がれたものです。
第1次南極観測隊は4台の雪上車を昭和基地に持ち込みました。3タイプあり、2台のガソリンエンジン標準車(KC20-3S)、1台は後部にレッカーを搭載したガソリンエンジンレッカー車(KC20-3R)、そして1台はディーゼルエンジントルクコンバーター車(KD20-1T)でした。以後1962年(昭和37年)に観測が中断するまでに、ガソリン仕様のKC20型4台とディーゼル仕様のKD20型6台が昭和基地に送られ、性能不足気味ながら、輸送や探検に活躍します。
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南極観測再開の1966年(昭和41年)には、KC20型の運用実績を基に開発された大型のKD60型雪上車が投入されて、KC20型は主役から外れます。
ちょうど観測船も「ふじ」に代替わりした時でした。
重量はKC20が2.8トン、KD60は8トンのようで(資料によって数値に異同がありました)、牽引力や居住性などから、南極観測では大型の雪上車の方が活躍場面が多いようです。
現在名古屋港ガーデンふ頭に停泊する南極観測船「ふじ」の2階「01甲板」に展示されているKC20-3Sは、第一次観測時で昭和基地に運ばれた1号車です。必ずしも南極向きではなかったようですが、「国産品」に拘った初期の南極観測隊において、役割を十分に果たしたのではないでしょうか。
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