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誌上個展

<日本航空史>愛国と女学生

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

 国鉄広尾線で「愛の国から幸福へ」の乗車券が大人気になったことがあった。調べてみたら昭和50(1975)年前後のことで、もう40年も前のことだった。「愛の国」は「愛国」駅を読み替えたものだったが、平和な時代ならではの幸せな読み替えだった。  今回の話は昭和7(1932)年というから、そこからまた40年以上前のことである。満州とよばれた中国東北地区で、それは起こった。1機の八八式偵察機が配備された。国民からの献納機「愛国」号で、献納者名は「女学生」だった。「愛国」+「女学生」=大人気、それはそうだろう。




 モデルアート社『日本陸軍愛国号献納機』(2001年)によれば、結局は、航研機飛行で有名な藤田雄蔵氏の中隊長機となったそうで、出撃を重ね百数十発の弾丸を受けながらも無事故で過ごし、靖国神社の遊就館に展示されたのだという。

 以前にほかのところでも書いたが、「国民からの献納機」が存在するということは、飛行機は民間企業の商品であり、軍用機はそれを軍が購入して武装するから軍用機なのだということ。だから新聞社が軍用機と同じ機種を使い、民間訓練施設が軍用機と同じ機種で練習機にしたり、旅客会社は座席をつけてお客さんを載せたりできるわけ。愛国号は、理屈としては民間人の献金で購入して軍に納入する仕組みの軍支援になる。



 愛国・女学生号が献納され、隊員が競って搭乗を願ったというエピソードは、軍隊にいた人たちが若い男性であり、その人たちを戦地へ送り出さねばならなかった若い女性が銃後にいたということである。「愛の国から幸福へ」の乗車券に憧れたと同じような男女が、その40年前には戦争という世界におかれていた、そういうことである。
 掲載は女学生号の写真と、帰国展示後の姿を刷った絵葉書。
 愛国・女学生号は無事に退役し帰国した。



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